PANAMA WUDC 2025

皆さま、こんにちは。今回はWUDC(World Universities Debating Championship)2025年大会に参加した菅原淳さんにブログを執筆していただきました。貴重な国際大会の内容となっていますので、最後まで是非お読みください✨

Table of Content

    1. 自己紹介

    2. チーム結成

    3. いざワールズへ

    4. 予選まで

    5. パナマ観光

    6. 大会を終えて


      1, 自己紹介

       こんにちは。これでブログを書くのは3回目になるので、もしかしたら僕のことを知っている方もいるかもしれませんが、改めて、菅原淳です!法学部政治学科の新3年生で、ディベートは高校の頃からやっていてもうすぐディベートを初めて5年になります。5年もやってるならさぞかし上手いのだろうと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、現実はそう簡単ではなく、、泣。自分の未熟さと伸びしろを常に感じながらディベートに取り組んでいます!5年前にディベートを始めた理由はシンプルに英語が得意だったからです。中学時代にオーストラリアに2年間滞在した経験があり、そこで培った英語力を何かに活かせないかと思って始めたのが英語ディベートでした。大学に入ってもディベートを続けた理由はいくつかありますが、主な理由はKDSというコミュニティの温かさに惹かれたことや、高校時代頑張ってきたことを大学に入っても続けたいという強い思いがあったからです。高校があまりcompetitiveではなかったこともあり、KDSに入ることでディベートの本当の面白さや醍醐味を知ることができるのではないかという思いもありました。3年間続けてきたのに何も結果を出せずに終わりたくないと考えて始めた大学からのディベートですが、2年生の間にこんな大きな大会に参加する機会を得られたことは本当に嬉しいです。今後1年ほどは就活で大会参加はお休みすると思いますが、これからも精進していきます。

       簡単に直毅の紹介もします。直毅は理工学部の新3年生で、数学が大好きです。WADのとあるオーソリには「F**king dead rabbit」と呼ばれ、同志社のとある先輩には「鳥獣戯画の子」と呼ばれてます。そんな感じで、うさぎみたいな顔をしてたり、鳥獣戯画の服を着たりしています。直毅も僕と同様高校の頃からディベートをやっていました。あとは僕とだいたい同じだと思います。

       今回のWUDCに出場するにあたってたくさんの人にお世話になりました。普段から練習に付き合ってくれてディベーターやジャッジとして関わってくださったKDS(もちろん他インステの方も!)の皆さん、精神面、金銭面で常にサポートし続けてくれた家族、応援してくれた友達、そして快くペアを組んでくれた直毅、今まで本当にありがとうございました。パナマにいる間に仲良くしてくれた先輩方や一緒に行って仲良くしてくださった日本勢の方々にも感謝を伝えたいです。ワールズに向けて手続きをいろいろしてくれた国際渉外のぽくまんもありがとう。

       今回のブログは僕がパナマに滞在した数日間の日記のようなもので、正直ディベートに関して大した内容は書けていないのですが、ぜひ読んでいただけたら嬉しいです。


      2, チーム結成

       直毅とチームを組むのを決めたのはいつだったのか、自分でもあまりよく覚えていません。ただ、KDSではワールズに出場できるチームが現在の時点だと2チームと決まっており、日本に近いアジアの国で開催される年は希望者が多く、KDS内でのトライアウトで勝ち進むことが難しくなってしまいます。今年はパナマで開催されたので距離や費用の面でも参加する人は少ないだろうと考え、せっかくの機会なので一緒に出てみようということになったのだと思います。また、これまで長く続けてきたディベートにおいて、最も大きく名誉ある大会に出場するということは、僕の中でいつしか目標になっていました。直毅とは、1年生の4月に初めて2人で出場したNemophila Cupで組むことになってから2年間、様々な大会に出場してきました。1年生の夏、わかばカップで優勝したことで「相性いいのでは?」となり、それからずっとチームを組み続けました。(わかば優勝は、僕がずっと浸り続けている過去の栄光です。)Asianの大会も含めると、合計で17個の大会にチームとして参加したようです。おそらく組んだ試合の回数は練習も含めて100を余裕で超えているでしょう。KDSに入サーしてから300試合目をワールズで迎えたのですが、そのうちの半分はおそらく直毅と組んだものでしょう。時に喧嘩することもありましたが(詳しく知りたければ僕に聞いてください)、この2年間、仲良くやってこれたと思います。ワールズが終わってからは僕が大会に誘っても直毅が出てくれないのが残念なところです。

       ワールズに出ることを決めてからはより練習回数を増やすようにし、一応自分たちでマターファイルも作りました。ただ、直毅は2個、僕も7個ぐらいしか作れず、直前は先輩方から頂いたマターファイルを見て勉強しました。また、去年KDSで作成したマターファイルもよく見返して勉強しました。先輩方、本当にありがとうございました。

       これまで様々な大会に2人で出場してきたと書きましたが、誇れるような成績はずっととることができず、周りの同期がどんどんCVを増やしていく中、正直少し辛いと感じることもありました。まあちゃんとレクチャーや音源を聞いたりして勉強していないのが悪いのですが泣。今振り返ると、ここまでの2年間、もっと努力することができたなと少し後悔もあります。しかしワールズ直前に出場したMaha Sangram 2024でやっと自力でOpen Breakを果たすことができ、少しだけ自信がつきました。やっと試合中に戦略的に考えることができる力もついてきた実感があり、ワールズでも2桁のポイントが取れたらいいなと、この時初めて自分なりの具体的な目標を持つことができました。


      3, いざワールズへ

      12月25日

       24日の夜は、翌朝のフライトが朝早かったため、成田空港の近くのホテルに直毅と宿泊しました。25日の朝、空港に向かい、まずは韓国の仁川空港へ。クリスマスだというのに直毅と2人で韓国旅行とは、なんとも寂しい話です笑。乗り継ぎの待ち時間が8時間ぐらいあったので、一度空港の外に出て、空港の周りを少し散策しながら韓国料理を楽しむことにしました。レストランで食べた鶏肉の炒め物が想像以上に辛く、死ぬかと思いました。辛さマークがついていないメニューを頼んだのに辛かったのは、まさに「韓国らしさ」を感じる瞬間でした。一方で、Cassという韓国のビールを直毅とシェアして飲んだのですが、これはとても美味しかったです。かなり時間があったのでカフェでチョコのドリンクを飲んだり、年明けの授業で行うプレゼンテーションに向けてスライドを作ったりして時間を潰しました。

       その後、LAへ向かう便に搭乗しました。Asiana航空の機内食は期待以上に美味しく、満足できるものばかりでした。LAでは乗り継ぎまでの待ち時間が5時間ほどしかなかったため、空港内で過ごすことにしました。物価の高さと空港価格が相まって、モンスター(が1本6ドル(1000円ぐらい?)もすることに衝撃を受けました。そしてcopa航空のフライトでパナマへ向かいました。


      4, 予選まで

      12月26日

       早朝にパナマに到着しました!到着してまず最初に感じたのは、パナマの気温と湿度の高さです。少し歩いただけでも汗をかいてしまうほどでした。空港ではチキンバーガーを食べて、ひとまず休憩し、その後ホテルへと向かいました。事前にパナマについてあまり調べずに来たのですが、予想以上に発展していることに驚きました。街は整備されていて綺麗だし、電車などの公共交通機関も充実しており、思った以上に快適に過ごすことができました。また、現地ではスペイン語が話されているのですが、現地の人の話す速度は非常に速く、抑揚の少ないスペイン語を話すので、聞き取るのがかなり難しかったです。僕は大学入学後の2年間、スペイン語を学んでいたので、看板の文章などは読めるのですが、実際に会話をするのは一苦労でした。簡単な日常会話を行うことや、レストランやお店でスペイン語でオーダーすることはなんとかできたものの、本格的なコミュニケーションをするのはなかなか難しかったです。それでも、現地の人にスペイン語で道を尋ねることができた時は、自分の成長を実感できて嬉しかったです。

       ここからは少しディベート界の身内ネタになってしまうのですが、パナマに到着して1番最初にきたメッセージはKDSのK太郎から。内容は「〇〇売ってた?」でした。ディベートをやってる皆さんならば、彼の悪名高い日頃の言動や最近のホットな話題から〇〇に何が入るか容易に想像できるでしょう。流石にびっくりしましたね。ちなみに〇〇は売ってませんでした。

       パナマ1日目はワールズの運営が用意しているホテルではなく、自分たちで予約したホテルに前泊しました。これは航空券の価格が異常に高く、前日入りしないと数万円の通過費用が発生してしまうためです。1人1泊3000円ほどの格安ホテルでしたが、想像以上に部屋が広く、値段の割に快適で驚きました。ただ、この日から僕は乾いた咳が出始めてしまい、これが悪化したらもしかしたら大会に出れなくなるのではないかとかなり不安になりました。まだ到着したばかりなのに、体調を崩しそうな気配があり、焦りが募るばかりでした。

      12月27日

       この日は前泊していたホテルから、大会の運営が確保してもらっているホテルへ移動しました。朝はホテルの近くのSubwayで現地にしかなさそうなメニューを購入。ただ注文するのに一苦労でした。僕のスペイン語があまり伝わっておらず、僕も相手が何を言っているのか聞き取るのが難しく、スムーズにはいきませんでした。

       会場のホテルに到着し、チェックインをしようとしたものの、運営が様々トラブルを抱えており、かなりの長い時間待たされることになりました。長時間の待機は正直しんどかったですが、運営からは記念のバインダーや水筒、ペン、ステッカーなどをいただいたことで少しだけ元気が出ました。ただ、この日は前日と比べて体調が悪化していて、チェックイン後はすぐにホテルの部屋で休むことにしました。

      12月28日

       この日はオープニングセレモニーがありました。朝食にはたくさんのフルーツが並んでいて、それだけは嬉しかったです。オープニングセレモニーに関しては他の日本人の人たちもほとんど参加しておらず、僕も咳が止まらず体調が悪かったため、皆さんと同様に参加しないでホテルでゆっくりしていました。特にリサーチをするわけでもなく、Netflixで「BEASTERS」を視聴。面白すぎて、3日間で全エピソードを一気見してしまいました。本当に面白いので皆さんにもおすすめしておきます。僕がそうやってグダグダしている中、直毅はひたすらマターファイルをずっと読んでいました。ラウンド中も知らず知らずのうちに直毅の知識に助けられていたんだと思います。体調が少しよくなったタイミングで、パナマについてのリサーチをしました。せっかく来た国について何も知らないままではもったいないと思ったし、予選でパナマのモーションが出る可能性は高いと考えたからです。

      12月29日

       ついに予選の日がきました。しかし、僕は朝起きた時から体調は最悪。具合が悪すぎて、会場に着くなり横になって休んでいました。日本勢の皆さんから薬や飴をいただき、そのおかげで少しだけ回復。なんとかR1までには立てるようになり、スピーチも無事にすることができました。本当にありがとうございました。R1ではスピーチ中に突然大量の汗が噴き出してきて倒れるのではないかと焦りましたが、なんとか3ラウンドを終えることができました。ただ、頭がぼーっとしたため相手の話もなかなか頭に入らず、直毅に「今の人なんて言ってた?」と何度も聞くのを繰り返していました。迷惑かけて本当にごめんなさい笑。この日が1番ポイントが高かったのがちょっと謎ですね。具合が悪い時の方がいいスピーチができるのかもしれないです。悲しい。この日の朝ごはんはパンケーキやバナナなどで、お昼は現地で配られたチキンの弁当を食べました。

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      モーション解説
      Round 1 OO 4位Motion: This House Prefers secondary schools adopting a classical education model rather than a progressive education model

      Info: Classical education relies on teacher-led, structured lectures, with minimal student driven discussion or exercises. Subjects are distinct units that are clearly delineated (e.g., math, English, etc) and taught primarily through textbooks. In contrast, progressive education positions teachers as facilitators with a focus on student-led discussion, project-based learning, and experiential learning. Learning is organised thematically around a single topic (e.g., environmentalism, space exploration, etc) and can draw on sources such as news articles, fiction books, documentaries, and academic papers from different areas (science, history, etc.). For the purpose of this debate, secondary schools refer to schools with students from age of 14 to 18.

       結構当たり前の話をOOで話したつもりでしたが、メカが詰まりきっていなかったらしいです。It is a unique way to achieve some skills、 classical education is replaceableという話をメインでしました。結構メカの中で抜けてしまった部分が多く、残念ながら1試合目から4位をとってしまいました。

      Round 2 CO 1位

      Motion: This House Opposes confidence culture

      Info: Confidence culture places a high value on the development and expression of personal confidence. It emphasises the importance of self-assurance, self promotion, and assertiveness, framing these traits as critical to achieving individual goals.

       0点部屋であったこともあり、そこまでレベルが高くはないラウンドでした。OOが埋める用のメカをたくさん用意してくれたので、そこをしっかりと埋めきり、1位を取ることができました。マイノリティがどう成功するかの話をかなり細かく詰めることができました。他のチームのかなり癖の強いスピーチスタイル(?)を見ることができて面白かったです。アフリカ勢のチームが、スピーチ中に飛んだり跳ねたり、叫んだり机叩いたりしていてなかなか面白かったです(4位取ってました)。

      Round 3 OG 3位

      Motion: This House Believes that US involvement in Panama has benefitted Panama

       もう少しちゃんとリサーチをしておけばよかったと少し後悔したラウンドでした。運河やそれによってもたらされる経済効果、軍隊、衛生面、アメリカの介入がなかった場合の悪影響などの話を色々したのですが、CGがうまくてかなり多くのケース(dolarization、経済効果ももっと詳しく話していた)を出し、それらを短い時間の中でかなり綺麗にメカナイズしていたため後ろに抜かれてしまい、OOにも知識不足であったため負けてしまいました。まさに相手から知識でぶん殴られた感じでした。かろうじてcomparativeの全くなかったCOには勝つことができました。実は前日のMastersでパナマに関するモーションが出ていたので、予選ではパナマのモーションは出ないのかなと思っていましたが、ここでパナマモーションが登場。対策不足で悲惨なラウンドになってしまいました。いつもの練習や大会で言われているように、Weighingが足りなかったと言われてしまい、その後のラウンドではちゃんと比較を明確にすることを意識しました。

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      12月30日

       皆さんからいただいた薬のおかげで、前日よりはだいぶ体調が回復していました。朝ごはんはパン、りんご、スクランブルエッグと鶏肉の炒め物などがあり、3回もおかわりをするほどおいしかったです。ただ、黄色いソーセージみたいな料理はびっくりするほど不味かったです。何の料理だったのかもわかりません。

      Round 4 CG 4位

      Motion: This House Believes that feminists in Western Liberal Democracies should adopt reconciliatory rather than confrontational approaches in their advocacy

       直毅がジャッジに半ギレでした。面白かったです。直毅的にはアッパーは取れてたらしいですが、僕は自分のスピーチがそこまでうまく行った気はしなかったので、結果にはまあ納得です。ジャッジの話し方がちょっと怖くて、全部否定されたような感覚になりました。

      Round 5 CO 2位

      Motion: This House Believes that the student organisers of the July Revolution should not transition into formal political roles (e.g., run for elected office, form their own political party)

      Info: The July Revolution was a mass popular student-led uprising that ousted Bangladesh’s ruling Awami League government and led to the establishment of a politically neutral interim government. The student organisers of the uprising have since occupied important positions within the interim government and founded the National Citizens’ Committee (Jatiyo Nagorik Committee), a non-affiliated platform aimed at “building a democratic Bangladesh”. Many of the student organisers were previously involved in political organising under the banners of various political parties.

       作戦通りアッパーを取れたのでよかったです。何がCFになるのかを考えるのが難しかったと同時に楽しかったラウンドでした。学生がいかにキャパシティがあるのか、社会をどう良くするインセンティブがあるのかなどを細かく分析することによってなんとか2位は取れました。

      Round 6 OO 3位

      Motion: This House Supports the rise of specialised private equity firms and funds that focus on specific sectors or geographies

       モーションがよくわかりませんでした。よくわかんないままプレパしてよくわかんないままスピーチしました笑。特定の状況とかに影響を受けやすいからフレキシブルにできなくてまずい、という話をしました。あとはセカンドで話すことがあまりにもわからず、自分でも良くわかっていないmonopolyの話をしました。1番成功しやすい企業にしか投資をしないだろうから、結果として他の企業は違う分野に逃げてしまって、同様の独占が繰り返される、みたいな。自分でも意味不明なことを話した自覚はあったのですが、ジャッジ曰く一応クレジットできる話ではあったそうです。OGの話のユニークネスを削ることはできていて、会社のインセンティブとかどんな行動をとるのかという話はそれなりに良かったと言われました。

      12月31日

       朝ごはんはソーセージを煮たもの?やスクランブルエッグ、マフィンなどでした。

      Round 7 OG 4位

      Motion: This House Prefers the citizen welfare standard to the consumer welfare standard

      Info: The consumer welfare standard is a legal doctrine that states that business conduct and mergers and acquisitions are only anti-competitive and should be prevented when they harm consumers (e.g., by raising prices, lowering quality, reducing innovation, etc.). In contrast, the citizen welfare standard is a legal doctrine that states business conduct and mergers and acquisitions are to be evaluated on consumer and non-economic outcomes (e.g., privacy, environment, democracy, etc).

       モーションがよくわかりませんでした。(2回目)ジャッジコメントがないので特にメモ等もとっておらず、何を話したかをイマイチ覚えていません。

      Round 8 OG 4位

      Motion: This House Supports the use of La Mano Dura policies in areas with high crime rates in Latin America.

      Info: La Mano Dura refers to tough-on-crime policies aimed at combating gang violence and organised crime. This approach is characterised by increased police operations and military involvement, harsher penalties for gang-related activities, and lowering the barriers for arrests.

       ちょっと流石に4位ではなかったのでは、、?と思うのですが、終わってしまったことなので仕方ないですね。僕たちは結構シンプルに犯罪が減るという話をしました。COはうまくて、そこには確実に負けたと思いますが、OOとCGには絶対に勝っていると思っていました。それなのにまさかの4位。OOは話のpremsieがホンジュラスの具体例のみでメカニズムがなく、CGはコントラしている話をしていたので、自分の中ではクリアに2位だと思っていたのですが、ちょっと結果を見てびっくりしました。ただ、沈みに沈んだことで最後のラウンドで1位を取ることができたので、結果オーライだったのかなと思います。

      Round 9 CG 1位

      Motion: This House Believes that India should prioritise policies that aim to significantly reduce economic inequality rather than prioritise policies that aim to rapidly drive economic growth.

       それまでの点数が低かったのでそれなりのラウンドでした。OGはSwingでアイアンだったのですが、「この後用事があるから」といってPMで4分、DPMで2分スピーチをした後、それが終わると帰っていきました。OOはメカがあんまりない話をしていて、この時点でクロージングウィンなのは確信しました。直毅がMGで結構いい話をしてくれたので、Whipもやりやすかったです。僕たちはインドの特徴や、その産業のユニークネスを分析、インドの現地の人がどんな状況に直面しているのかをしっかり話すことができ、COもそんなにデルタのない話をしていたので、このラウンドはしっかり1位をとることができました。

      ブレイクナイト

       歩いて15分ぐらいのブレイクナイトの会場へ向かいました。ブレイクナイトの前に少し何かご飯を食べたいと思いみんなでお店を探したのですが、New Year’s Eveだったこともありファストフードのお店すら空いていませんでした。仕方なく何も食べずにブレイクナイトへ向かい、現地でUberを使って夜ご飯を取ることにしました。会場では久しぶりに聞くような音楽が流れていて、Up Town FunkやCan’t stop the feelingは中学生ぶりに聴く曲だったので、テンションが上がりました。New yearのカウントダウン後、UTのせいいちろうとSeco Herreranoというパナマのお酒を飲みました。これはサトウキビで作られているラム酒で、クセがなくすっきりした味わいでとても美味しかったです。現地でのメジャーな飲み方は牛乳割りだそうですが、今回はトライすることができなかったので、いつか飲んでみたいと思います。ブレイクナイト後はUberで注文したご飯を食べ、タクシーでホテルに帰り、翌日のパナマ観光に向けてすぐに休みました。この時点で僕の体調はすでに万全に戻っていました。


      5, パナマ観光

      1月1日

       この日は、日本勢9名でMonkey and Sloth Jungle Habitat Panama Tourに参加してきました。ナマケモノやサルといった現地の野生動物を探しながら、パナマについて学べるツアーです。60ドルのツアーでしたが、値段以上に内容が充実しており、とても楽しい時間を過ごせました。ガイドのマリオさんはとても愉快な方で、ツアーを通してずっと面白い話をしてくれました。バスの中にコロンビア人がいることを知らずにコロンビアの悪口を話していたのは笑えました。

       昼頃にホテルの前に集合しバスに乗車。30分ほど進んだところで、まずナマケモノ探しをしました。道路の横に生えている木々にナマケモノがいたりいなかったりするのですが、現地の運転手の方の目が驚くほど良く、すぐに何匹も見つけてくれました。特に、親のナマケモノが赤ちゃんを抱っこしている様子を確認できたのは感動的でした。写真でも分かるとおり可愛いですよね。ガイドの方が拡大レンズ?望遠鏡?のようなものを通して僕たちのスマホで写真を撮ってくれたおかげで、綺麗な写真としてこの思い出を残すことができました。さらに、車で森林に向かう途中、パナマ運河を進む巨大なコンテナ船を見ることができ、そのスケールの大きさに圧倒されました。

       その後、途中立ち寄ったお店でパナマのお菓子(揚げ物)を食べ、森林の中を散策しました。道中では、ハキリアリが長い列を作って葉っぱを運ぶ様子や、毒のある毛虫に擬態する蝶など、パナマにユニークな生き物をたくさん見つけることができました。

       いよいよ船に乗りサルを探しに出発。ガンボア(Gamboa)という地域の、Gatun LakeのMonkey Islandへ向かいました。移動には「パピ」と呼ばれるモーターボートを使い、パナマ運河を探索しながら進みました。船の中ではPirates of the CarribianやDespacitoなどの音楽が流れており、ボートは高速で進み、風が気持ちよく、とても快適でした。Monkey Islandでは2種類のサルを確認することができました。1種類目はAlouatta palliata(マントホエザル)、もう1種類はCebus capucinus(ノドジロオマキザル)です。どちらのサルとも、餌付けをしたり、サルが好む葉っぱを使って船に呼び寄せたりする体験ができました。他にも2種類のサルがパナマには生息しているらしく、ガイドの方が猿の鳴き声を真似して呼び寄せようとしていたのですが、この日は残念ながら見ることができませんでした。

       ツアーの後は、同じメンツでジャマイカの料理を食べに行きました。鶏肉やサーモンのグリル、ロブスターの料理など、どれも美味しかったです。ホテルに戻ってからは、プールサイドでせいいちろうや佐野などと現地のお酒を飲み、バナナなどが原料のスナック菓子を食べながらゆっくりしました。ディベートを続けている理由、何を目指しているのか、どこからモチベーションが来ているのか、なぜディベートが好きなのか、そんな深い話をゆっくり語り合うことができて、とても充実した時間でした。

      1月2日

       この日はまずよしぱんさんとなささんの試合を見てから観光に行くことにしました。ラウンド1で対戦したUpennの強いチームがOGで、よしぱんさんたちはその後ろのCGでした。それまでと同じ会場で試合を観戦し、順位はどのようになるのかをその後の観光の中でも皆で予想して話し合いました笑。

       その後、まずパナマビエホとその周辺のパナマ歴史地区に向かいました。午前中はせいいちろう、UTの水谷さん、佐野、筑波のひなのと行動し、直毅は風邪をひいてしまいホテルでお留守番でした。僕とは全然違う症状が出てたので、移したのが僕ではないと願いたい、、。パナマビエホはアメリカ大陸の太平洋岸で最初に築かれたスペイン人の植民都市です。1671年にはイギリスの海賊ヘンリー・モーガンの攻撃によって破壊されましたが、その後再建され、それ以降は中南米有数の貿易拠点として発展したそうです。また、ここは1997年にパナマ初の世界遺産として登録されています。まず初めにミュージアムに行き、パナマビエホ、そしてパナマの歴史を学びました。パナマビエホの建物のひとつは4階まで登ることができ、そこからパナマの街全体を見渡せる景色がとても綺麗でした。写真でもわかるとおり、佐野は終始ふざけていました。

       そして5人で海の方へ向かい、Mercado de Mariscosに行きました。日本語だと「シーフードのマーケット」という意味です。このマーケットは日本の無償資金協力の一環で完成した市場らしく、その作りも日本のものとよく似ているとのことでした。日本ではあまりみないような魚や海産物がたくさん並んでいて興味深かったです。特に巨大なロブスターや魚はそこそこ迫力がありました笑。マーケットのすぐ横にあるレストランで昼食をとることにしました。まず、みんなでシェアするために注文したセビーチェを注文し、僕はエビのグリルとココナッツライスのセットを頼みました。セビーチェは、魚介類を柑橘の絞り汁でマリネしたペルーの伝統料理で、これまで食べたことがなかったのですが、酸味が効いていてすごく美味しかったです。僕たちが注文したのは、シーフードミックスのものと、タコ?のもので、どちらも違った味わいを楽しめました。エビのグリルは少し味が薄めでしたが、素材の味が楽しめるシンプルな美味しさがありました。佐野は35ドルか45ドルの巨大高級ロブスターを自分で選んで、そのグリルを注文していましたが、残念ながら彼の舌にはパナマのロブスターは合わなかったようです。

       マーケットで海鮮料理を楽しんだあとは、せいいちろうたちは会場の方に戻り、僕は佐野とひなのと一緒にカスコビエホを探索しました。カスコビエホとは旧市街を指す言葉で、大聖堂や独立広場、パナマ運河博物館などがあり、世界文化遺産にも登録されている歴史的なエリアです。カスコビエホにはスペイン統治時代のコロニアルな建物が多く、とても美しい街並みでした。どんどん新しい住居に建て替えられつつある一方で、古い建物も多く残っていました。パナマへ行くことを大学のスペイン語の先生に話した際、旧市街には危険な地域もあるから気をつけるようにと言われていたため、そうした貧困地域には近づかないようにしました。夜は少し雰囲気が暗く、怪しい人もいて怖かったですが、昼間は明るくて穏やかな雰囲気でした。海岸沿いには美しい歴史的な建物が並んでいて、また違う方向を見るとパナマシティのビル郡が立ち並んでいるのが見え、この対照的な景色は印象に残りました。この日は旧市街の観光名所を周り、メトロポリタン大聖堂やサンホセ教会を訪れました。メトロポリタン大聖堂は美しいステンドグラスがとても印象的で、サンホセ教会の黄金の祭壇は荘厳で見応えがありました。その後ビーチ沿いの道を散歩しながら、アライグマや野生の猫を見つけたり、現地の小さなマーケットを見たりすることができました。

       夜ご飯は旧市街に戻り「Café Coca Cola」というお店で食べることにしました。このカフェは聞いたところによるとパナマで最古のカフェ?と言われており、その名前にはパナマ運河の建設が深く関係しているらしいです。運河建設のために多くのアメリカ人がパナマへ移住し、その影響でコカコーラのボトリング工場ができたことが由来だそうです。ここではフライドライス、チーズがかかったチキンのグリル料理、フレンチサラダ、「パタコーン」という料理用のバナナの亜種を揚げた料理を食べました。もちろん、カフェの名前にちなんで、コーラも料理と一緒に楽しみました。

       その後、ホテルの部屋で日本勢の皆さんと喋りながら過ごしました。パナマのお酒やお菓子を味わいながら、先輩方からさまざまなゴシップや面白い話を聞かせてもらいました。そこで、せなきむさんとゲームの話で意気投合し、1時間ほど一緒にブロスタをしました笑。せなきむさんがあまりにも強くてびっくりしました。まさかパナマで、しかもゲームの話をきっかけに仲良くなれるとは思っていなかったので、嬉しかったです。佐野も楽しそうな僕たちに感化されて1人でずっとクラロワをしていました。

      1月3日

       この日はまずOno Morenoというチョコレート屋さんを訪れました。ここではパナマで採れたカカオが使われている、トロピカルで面白い形やデザインのチョコがたくさん販売されていました。ボンボンは1つ約3ドル、板チョコも4ドル程度で購入でき、手頃な価格で種類も豊富だったため、僕はこれをKDSと家族へのお土産にすることにしました。4人で6個のボンボンのセットを購入し、これはパナマ最終日の夜にホテルで食べました。お店では試食をさせてくれたり、購入時にはおまけの小さなチョコをつけてくれるなどサービスも良く、店員さんもとても親切でした。おまけのチョコは、ホテルで留守番をしていた直毅にあげました。

       そしてパナマ運河に移動し、モーガン・フリーマンが主演の「PANAMA CANAL – A LAND DEVIDED, WORLD UNITED -」という映画を鑑賞しました。と言っても座席があまりにも快適すぎたせいで、僕、せいいちろう、ひなのは始まってすぐ寝てしまい、内容をほとんど覚えていませんでした笑。僕に至っては、モーガン・フリーマンが出てきたことすら知りませんでした。佐野は一応ちゃんと映画を観ていたらしく、運河ができた経緯やそのシステムについて上映後熱く語ってくれました。

       映画の後は実際にパナマ運河を見に行きました。観光客が多くてなかなか見えづらかったのですが、巨大な船が運河を通っていく光景を間近で見れたことは非常に貴重な体験となりました。運河内の水位が調整される様子や、日本の技術が運用されているという船を引っ張る機械なども見ることができました。

       その後は再びパナマ旧市街に戻り、ゲイシャコーヒーを飲みに行きました。ゲイシャコーヒーとは、世界でもかなり希少なコーヒーの品種で、最も高価なコーヒーのひとつです。「ゲイシャ」という名は、エチオピアにある、コーヒー原産地の地名に由来していて、日本語の「芸者」とは全く関係がないそうです。観光初日のツアーガイドの方がこのコーヒーに関して何か話していたのですが、残念ながら忘れてしまいました。今回訪れたゲイシャコーヒーのお店では、気さくな店員さんが丁寧にコーヒーを淹れてくれました。普段からたまにコーヒーを飲んだりすることはありますが、ここで飲んだゲイシャコーヒーは格別でした。フルーティーな風味に花のような甘い香りが広がり、コーヒー特有の酸味と苦味が絶妙に調和しています。飲み終わった後もその味が口の中に残るような、そんな特徴的なコーヒーでした。祖父母へのお土産のコーヒーもこの辺りで購入しました。

       お土産屋さんを少し回ったあと、Iglesia de San Francisco de Asisという聖堂を見て、そしてパナマで最後の夜ご飯を食べました。バーガーを注文して食べたのですが、付け合わせのフライドポテトのソースが独特な味がして面白かったです。気になって店員さんに何のソースか聞いてみると、日本で一般的に食べられているものとは異なる種類のトマトを使っているソースだとのことでした。夕食の後は急いでホテルまで戻り、Closinhg Ceremonyに参加しました。CCが終わった後は、ホテルで残っていたSecoを飲み、朝行ったチョコレート屋で購入したボンボンを食べました。そしてパッキングをして空港へ。LAに向けて出発しました。

       ここで簡単に、パナマという国について説明したいと思います。今回の旅行を通して気づいたパナマの特徴は大きく2つあります。

       1つはUberが文化と言えるほど普及していることです。パナマシティではどこでもUberが利用でき、現地のタクシーよりも、スマホで簡単に予約、会計できて安全なUberがやはり圧倒的に便利でした。運賃も安く、40分ほど乗ってもかかるお金は10ドル程度。今回の旅行では、移動のほとんどをUberに頼ることになりました。

       2つ目は人が気さくで優しく、皆陽気だということです。僕がカタコトのスペイン語で道を尋ねた際も、現地の人は親切に対応してくれましたし、レストランのスタッフもどこに行っても皆フレンドリーで、向こうから積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれました。また、チェーン店などでも食べ物の扱い(ラッピングや提供の仕方)がとても丁寧で、旅行中は終始快適に過ごすことができました。

      1月4日

       LAで僕たちを待っていてくれたのは同期の半澤そらでした。KDSの26期ですが、今は慶應ではなく、アメリカのコミュニティカレッジに通っています。最近ではディベートのモチベが高まっているらしく、現地のディベートサークル?にも入って頑張っているようです。元気で人懐っこい彼なら、アメリカでもいろんな人に好かれているんだろうなと思いました。この日はそらがLAの観光名所を案内してくれるということで、Uberの手配から何まで色々とやってくれました。また、パナマからLA、そしてLAから韓国への飛行機が同じだったこともあり、ひなの、ICUのゆうやさん、みつきさんと一緒に5人でLAを周りました。直毅はまだ体調が万全ではなく、外に出るのは大変そうとのことだったので空港で待っていることになりました。

       最初に向かったのはサンタモニカビーチです。少し雲は出ていましたが、ほとんど晴れていて良い天気でした。昼食はPier Burgerというお店でハンバーガーを食べたのですが、値段もそこまで高くなく、すごくおいしかったです。そのあとはビーチの近くの公園で少し遊びながら、そらとKDSのことやアメリカのことを色々話しました。

       次に向かったのはHollywood Walk of Fameです。これはテレビなどでよく見る、地面に俳優や監督などの名前が彫られた星が並んでいる、有名な観光スポットです。ハリウッドらしいお店が多くあり、バスケのユニフォームを大量に扱うショップも見かけました。少し距離はありましたが、ここからはハリウッドサインも見ることができました。

       そして最後に向かったのがグリフィス天文台です。映画「LA LA LAND」のとあるシーンの舞台になった天文台で、ロサンゼルス観光をすることがあったら一度は訪れてみたいと思っていた場所のひとつでした。今回実際に来ることができて、良かったです。展望台までの道は渋滞していて、もしかしたら飛行機の時間に間に合わなくなるのではないかと少し心配しましたが、最終的には時間に十分な余裕を持って空港に帰ることができました。グリフィス天文台から見えるLAの夜景はまさに絶景で、街全体が輝いていました。最後の最後で、そらくんはいつも通りちょっとしたポンコツぶりを発揮していましたが笑、LAの有名な場所を1日で3箇所もめぐることができて大満足です。そらありがとう!!

      1月5日、1月6日

       この日は飛行機で、来た時と同じルートで帰りました。ロサンゼルスを出発し、仁川空港でまた少し時間を潰し、日本に帰ってきました。帰りもAsianaの機内食(ビビンバなど)は美味しくて、最後まで快適なフライトでした。やっぱり帰ってくると日本の暮らしのありがたみを実感しますね。久しぶりの日本のご飯、温かい風呂、そして自分の家のベッドはどれも最高でした笑。しかし帰国後すぐに体調を崩してしまい、しばらくダウン。やはり海外旅行の際には体調管理が大切だと改めて感じました。


      6, 大会を終えて

       ここまで読んでくださった皆さんならそろそろお気づきかもしれません。なぜ2人で出場したワールズなのに、僕が1人でブログを書いているのか?それは、直毅はびっくりするほどのめんどくさがり屋さんだからです。直毅らしいといえば直毅らしいのですが、今回も「ブログは淳1人で書いていいよ」と言われました。そんな直毅からの一言です。

       「海外旅行に行く時は、信頼のおける友達(あつしみたいな)と信頼のおける風邪薬を持っていきましょう。私は後者を持っていくのを忘れました。」

       だそうです笑。僕も風邪薬を持っていくのを忘れてしまいました。次回は気をつけたいですね。さて、ここまで長々と書いてしまいましたが。ディベートの話はあまり書けていないですし、パナマ観光の話ばかりになってしまいました。それでも最後まで読んでくださってありがとうございます。僕みたいなレベルでも全然チャレンジできる大会だと思ったし、もっと頑張っている人ならブレイクも夢ではないのだなと思いました。この文章を読んでいる後輩たちには、ワールズという大きな舞台で活躍してほしいですし、自分ももし機会があったらもう一度参加してみたいと思います。

       本当にありがとうございました。