2021 ブログリレー #1

みなさん、こんにちは!今日から五日間に渡ってKDS部員によるブログリレーが行われます。ディベート経験がなくKDSに入ってきた人や、海外経験がない部員、一方で帰国子女の部員や高校からディベートを続けている部員など、様々な背景を持つ部員にブログを書いてもらいました!

1日目のブログは、香港に留学されていたKDS20期の嶋本さんに書いていただきました。留学を考えている新入生にも、そうでない新入生にもぜひ読んでいただきたいブログです!また、嶋本さんはディベート経験がなくKDSに入部されたため、ディベート未経験の新入生にも読んでいただきたいです。

それではどうぞ〜↓↓↓


適当な留学のすゝめ 〜君は何を選び何を捨てるか〜

友人宅にて談笑をしていたその日、僕は不覚にも酩酊状態に陥りそのまま眠りについたわけですが、翌朝スマートフォンを見ると23期のももかさんからの「ありがとうございます!!3週間を目安に書いていただけますか?」というLINE通知が目に入りました。どうやら前夜にブログの執筆を承諾していたようで、承諾したのは誰だよと嘆いたものの自分の顔しか思い浮かばなかったため腹をくくって書き始めました。まあそんなわけで、なんと5度目のブログ寄稿となります。ちなみに今回は前回みたいに何かの大会で頑張ったわけではないし、また殆どの人からしたらよく知らんなんか上の代らしい人、みたいな存在だと思うので、軽い感じで書いていこうと思います。ちなみに提出は3週間後には間に合いませんでした。全5回のブログ寄稿で依頼された締切に間に合ったことはついに無かったです。皆さん、提出物の締切は守りましょうね。

肝心の内容ですが、LINEのトークを読み返してみるとなにやら留学について書いてほしいとのことでした。留学、いやたしかに留学はしたんですよ。単位も交換してもらったし、ディベートサークルにも入ってはいたんですけど、これが当時のギスギスしたKDSからの逃避行も兼ねたこっそりとした旅路だったんですよね。なので「オーストラリアの名門大学に留学してオーストラルズで日本人初のオープンブレイクを果たしました!!」みたいなブログを読みたい人は来年に期待しててください。きっと20期の馬場くんが書いてくれるはずです。しかし地味だったということは、「カナダの超強い大学のディベート部に入ってみたら部費が2000万円あったので世界各国の大会に出まくりました!!!」みたいな輝かしいエピソードでKDSブログを賑わせるよりは多くの人にとって現実味がある事を伝えられるということでもあります。まあそんな感じのポジティブシンキングで進めていこうかと思います、あしからず。

ちなみに、僕が利用した留学プログラムは全塾の交換留学です。各学部が用意している交換留学やダブルディグリープログラムなどに関しては詳しく存じ上げませんので、基本的に全塾交換留学に興味のある人に対して何か提供できればという気持ちで書いています。


Table of Contents

・自己紹介

・目的編

・選定編

・選考編

・ディベート編

・得たもの

・最後に


自己紹介

おそらくあまり認知されていないだろうな~ということ以外に、今回に関しては僕自身の背景を話しておかないと各項目の難易度感が掴めなくなるだろうなという理由もあって、自己紹介から始めてみようかなと思います。

KDS20期でまさに大学を卒業しようとしている嶋本と言います。名前はヒロキなんですが、1つ上にヒロさんというディベートが強い上にかっこよくて優しいという先輩がいらっしゃった影響でずっと呼び名はシマモトでした。かなり気に入ってます。大学入学時までの海外経験はほぼなく、また内部の一貫校(塾高)出身で大学受験をしていないので受験英語の知見もありませんでした。高校では運動部にいたので、もちろんディベート経験も全くありません。ちなみにKDSに入ったきっかけは偶然です。当時なんとなく参加だけしていた英語会の練習部屋がJ411とJ446だったんですが、数字に弱い僕は見間違えてJ441に入りまして、全く気づかずに30分くらい話を聞いていました。そして聞いていたらなんか面白そうだったのでそのまま入りました。卒業を目前にした僕がまだKDSに在籍していて、かつ最後にブログリレーを書いていると伝えてもあのときその場にいた誰も信じない気がします。人生って面白いですよね。

留学は大学2年秋から3年春に香港に行きました。一応留学先のディベート部に入って多少活動してたりもしました。その頃から細々と海外大会に出向いたりしてたんですが、強い人に組んでもらうという必殺技を駆使してそこそこの結果は残すことができたのでやはり人格も大事です。そろそろ本題に移りましょう。

 

目的編

さて、人はなぜ留学を志すのでしょうか。どこかの大学で学びたいことがある、行きたい国がある、なんとなく留学ってものをしてみたい、など様々だと思います。僕の場合は上記の3つ目でした。なんかかっこいいですよね、留学って。

もちろん多少の背景くらいはあります。先に述べたように高校では運動部に入っており、人数が少なかったこともあって主将を務めていたんですが、スランプだったり総監督との不和だったりで大学の体育会には進まないことを決めていました。高校の体連で主将を務めた人間が体育会に進まないというのはそうは多くないことで、「体育会で競技を続けずに大学で何をするんだ???」という監督やコーチ陣からの声に苛まれながら大学生活が始まったわけです。そんな時たまたま再会した中学時代の友人がいたんですが、留学を志していた彼は僕に大学にどのような留学システムが用意されているのかについて詳しく教えてくれたんです。体育会に行かない代わりに学生生活を彩ってくれる「なにか」に餓えていた僕はこの上なく甘美な響きを持った「留学」という言葉に手っ取り早く飛びついた、というのが大まかなきっかけであると言えるでしょう。

もちろん実際に留学の内定を取り渡航するまでには数多くの手順があります。大事なのは実際にそこまでたどり着くまでの個々のステップを踏破するだけの行動力があるか否かであって、つまり最初のきっかけなんて何でもいいのです。もちろん確固たる信念や目的があるのであればそれに越したことはありません。

 

選定編

~時期~

大学4年間+@の設計を考えるにあたって、留学をどの時期に入れるかは大きな選択です。オーストラリアなどの例外も存在しますが、主に2年秋~3年春の「2年次渡航」と3年秋~4年春の「3年次渡航」という2パターンに大別可能です。双方の利点欠点として、例えば「2年次渡航より3年次渡航のほうがより専門的な勉強ができる」といった学問に関する話が巷で多く語られると思います。これはあくまでサークルのブログなので、学部による差が大きい学問に関する話よりも大学生活の設計という観点から切り込んでみようと思います。

ここで問題となるのが、「交換留学なら留年しないで済むよ!」「留学は基本的に学年を落とすもんでしょ??」「留学したら就活大変だよ〜」といったような多種多様な声だと思います。これから留学を考えようと思っている大学1〜2年生からしたら混乱することこの上ありませんね。これらを整理するための基本的な考え方として、ここでは僕が個人的に「留学における4年間での卒業・充実したゼミ活動・スムーズな就職活動のトリレンマ」と呼んでいる現象を紹介します。これは前述した3つのうち2つを選択すると残り1つが得られない、または得るのが困難になるという現象のことです。まずは各要素を構成する条件について説明しましょう。1つ目の「4年間での卒業」には、単位を取り切り留年をせずに卒業すること、そして4年間で企業からの内定や大学院からの合格など進路を決定することが必要です。次の「充実したゼミ活動」では、2年生の1~3月に行われるゼミ試で入ゼミを許可されることが必須となります。最後の「スムーズな就職活動」では、近年重要性が増している3年生の夏から冬にかけて多く行われるインターンシップとその後の本選考につつがなく参加できることが肝要となるでしょう。これらの獲得難易度をパターン化して見ていきます。

まず、充実したゼミ活動とスムーズな就職活動を取るパターンを考えます。この場合3年次渡航と留学留年による5年間での卒業が主なルートです。2年生の夏~冬の選考で留学に内定し、その後1~3月に行われるゼミ試験で充実したゼミ生活の第1歩となる入ゼミを決められれば完璧ですね。留学期間に慶應では進級を行わないため、ゼミには留学期間を除いても2年間フルで参加できますし、3年の夏以降の就職活動にも問題なく取り組めるでしょう。大学生活を1年伸ばすことで学問と就職活動を両立するという留学の基本形がこちらだと思います。

次に4年間での卒業と充実したゼミ活動を考えます。この場合、3年次渡航で入ゼミを確保しつつ、前述パターンで行った1年延長をせずに無理やり内定を勝ち取って4年で卒業する手法になります。近年の就職活動におけるコア時期を海外で過ごすことになるため、自ら企業のHPやWantedlyなどを活用してコンタクトを取る、もしくはボストンやロンドンで開催されるキャリアフォーラムに参加する、といった裏技が求められます。人並み外れた行動力や英語でのケース面接に耐えうる言語力などが求められるため当然ハードルは上がりますが、それを乗り切れれば留学のトリレンマを打破できる数少ない方法となります。特に後者に関してはKDSをはじめとしたディベートコミュニティから多くの就活生が参加しているため、経験者に聞いてみると良いかもしれません。僕はこのキャリアフォーラムには参加しなかったため詳しく述べることができません。

最後に、4年間での卒業とスムーズな就職活動のパターンを考えます。この場合、2年次渡航が最適解となるでしょう。留学の選考は1年生の夏~冬になるので、入学後すみやかに準備を開始する必要があります。2年生の8月前後に渡航し3年生の6月前後に帰国するため、ゼミ試の時期に日本に居られない代わりに就職活動において重要な半年~1年間を日本で過ごすことができます。そのため、留学経験がある状態で夏冬インターンシップからフルで参加できるという、非常に有利な就活生が誕生することになります。ここでは前述の4年卒業とゼミの両立パターンとは逆に、メールやリモート面接などを駆使して留学先からゼミ試を受け参加を認められればトリレンマの打破も可能です。ちなみに僕はここで失敗し、「留学から帰国したのち3年生の夏休みに就職活動を一通りこなし4年で大学を出ることには成功したもののゼミに入れずに大学生活後半にポッカリ穴が空いた人」になりました。

なお、ここまでの説明は決して僕がゼミに入っていないことの正当化ではございません。決して。ちなみにこのブログで言いたいことはだいたいここで言い尽くした感があるので、このあとは比較的適当です。また、ここでは主に留学を主軸にゼミや就職活動について述べたため、就職活動そのものについてより詳しく知りたい方は5社ものサマーインターンに参加した21期の超優秀で才色兼備な先輩が書いているであろう「ブログリレー就活編」をご参照ください。

 

~場所~

大学生活の設計において最も重要なのが留学の時期選びだとしたら、留学そのものをどのように設計するかの肝となるのが場所及び大学選びとなるでしょう。

この時点でロジックに補強された強固な理由付けはほぼ必要ありません。というのも「あの国になんか憧れる!」「あそこはなんか嫌」みたいな感覚の裏には言語化できていないだけでそれまでの人生で培ってきた様々な経験や思考が隠れているからで、口先のロジックより遥かに信用できると思っているからです。目指しましょうよ、憧れの地。もちろんこの後に控える志望書の作成や面接対策までにはきちんと言語化しておく必要がありますが。

ちなみに僕は留学先は基本的にアジア圏、特に中華圏で考えていました。理由としてはそもそも英語がそんなにできないこと、海外経験が乏しくヨーロッパ系の中に単身飛び込める自信がなかったこと、そして中華圏への興味関心がもともと強かったことなどがありました。基本的にこの程度の理由に肉付けしていく形となります。

 

~大学~

授業を受けるキャンパス、生活する寮など、おそらく留学生活において大半の時間を過ごすことになるのが大学です。よく考えて選びましょう。

手っ取り早い指標に「世界大学ランキング」なるものがありますが、一つの指標として頭の片隅に入れておくくらいでいいと思います。交換留学で世界ランキング1位の大学に行ったところで僕らは慶應生です。諦めましょう。他によく語られる大学選びの指標として、興味のある授業やカリキュラムの存在があります。一般的な交換留学では比較的自由に自分の履修を組み立てることができるため、慶應での選考に縛られずに多様な学問に目を向けるチャンスでもあります。

もちろん第1志望の大学に行けるに越したことはありませんが、中学受験から就職活動までことごとく第2志望に縁があったという人生総プランB男の僕からすると、併願は極めて有効です。行きたい地域や大学に求めるものをしっかり言語化できていれば自ずと適切な第2,第3志望も見えてくるでしょう。後述する圧迫面接対策も役に立つかもしれません。

 

選考編

~資格~

いくら崇高な志望理由と緻密な計画があっても、言語のスコアが足りなくては選考のスタートラインにすら立つことができないという現実があります。取りましょう。

しかし大学によっては意外と難しくない場合もあります。留学したいな~と考えていた海外経験なし・受験英語もなしの僕からしたらどの程度高い壁なのかは検討も付きませんでしたが、交換留学に出願する上で最低限のラインとなるTOEFL70ないしはIELTS5.5に関してはそこまで無理なハードルではないと思います。一方で、米英の大学を志す場合はTOEFLで100点以上など0からのスタートであればかなり準備を要する要求度となっている場合も多いため、早めに取り掛かりましょう。アジア圏ではそこまでの大学はあまりなく、出願そのものの最低ラインである70点が条件の大学も散見され、また90点あれば大体の大学に出願可能だと思います。なおGPAも2.3は必要となるため、成績は無難に取っておきましょう。

 

~ES・面接~

各種留学フェアなどで非常に多く語られているトピックなので、ここでは自分なりに意識していた圧迫面接への対処について簡単に説明するに留めます。ESではよく「過去・現在・未来をつなぐ」などと形容されるテンプレートがあります。留学フェアなどで聞いてみてください。

そもそも留学選考で行われる圧迫面接がどのようなものか把握する必要があります。これは主に「それはその地域でなくてはならないのか」「それはその大学でしかできないのか」という形を取ることが多く、平たく言うと志望動機の揚げ足取りです。逆に言うと、そうした質問に自信を持って答えられれば大丈夫です。対策ですが、候補となる地域や大学は数が多く多様なため、単独で1地域や1校に絞り込める条件などそうそうありません。そこで手っ取り早い対処として、条件を複数組み合わせることがあります。1つ目の条件でアジア圏などの地域に絞り、その後の条件で国や地域を決め、更にいくつかの条件で大学を絞り込んでいくといったイメージです。この条件を細かい方から順に緩めていくと、前述した併願の対象が見えてくると思います。

なおこの段階では、留学経験がある先輩などがいたら積極的に頼りましょう。おそらく21期あたりにいる中国南京あたりへ留学経験のある長身でかっこいい先輩なら優しく教えてくれるはずです。

 

ディベート編

自己紹介のところでも述べましたが、一応ディベートもそこそこやってました。結局帰国後には就職活動もあり練習や大会から距離を置きはしましたが、一応留学で辞めたわけではないことは謎の自負になっています。それらを踏まえて、ここではなぜ留学を機にこの競技をやめてしまう人が多いのか、そしてそれを回避する方法はあるのかについて話したいと思います。

留学先にきちんとした目的を持って赴く場合に起こりがちなモチベーションの相対的な低下などを除くと、「トライアウト」というシステムの存在が留学引退に対して大きなウエイトを占めていることに疑う余地は無いでしょう。これは入部時の時点で一定のパフォーマンスを発揮しないと入部を許可されないというもので、日本のディベートコミュニティではあまり見られませんね。これを突破する方法として、最も単純なものだととりあえず練習して強くなっておくことがあります。しかしながら、これには限界があります。ジェミニ杯でチームの足を引っ張りながらブレイクしたくらいの2年生だった僕が名門大学の歴史あるディベートチームの門戸を叩いたとしても2000%くらいの確率で門前払いを食らったことでしょう。メルボルン大学やトロント大学で活躍するためにはそもそも渡航時の時点で個人としてかなりの実力が求められます。

そこでもう一つの方法として、ディベート部が比較的新興である大学に行くという手を紹介しておきます。幸い僕の留学先のディベート部はこのタイプで、トライアウトは有ったものの難なく通過した上で比較的良い扱いを受けることができました。AREAを始めとしたスピーチストラクチャーや体系化されたプレパといった考え方があまり浸透しておらず、KDSにいた1年半で学んできたことを多少共有するなど初めて先輩らしいことができたのはこの留学先での1年間だったのではないかなと思います。また留学先での練習に参加するのなら、当然大会にも出てみたくなりますね。僕の場合はKDSのパートナーとのNEAOとBDO、また留学先のパートナーと出たHKDO及びHK pro-amという計4つの大会に参加しました。こうした大会については2年前に書いた1つ目のNEAOブログに詳しく書いた気がするので今回は省きます。なにせ締切をすでに4日も過ぎているので。

留学先という日本で築き上げた人間関係の枠外において、身を置けるコミュニティというのは極めて重要なものです。もちろん国際系のコミュニティで他の留学生とつるむもよし、あるいは他の日本人とつるむもよしですが、せっかく日本にいながら英語で世界中の問題について日常的に議論する環境にいる皆さんが留学先で続けることができないというのは非常にもったいないことですよね。「あえて中小インステに飛び込むことで快適な留学ディベート生活を獲得できた」というアプローチが存在はしていることを、ここで伝える機会をいただけて非常に光栄です。

 

得たもの

ここまで捻くれたことばかり書いてきたので、ここらで留学してよかったと考えていることを少しばかり述べてみようと思います。世知辛い話からすると当然言語力は伸びるでしょうし、就職や院試などで活用することもできるでしょう。日本では留学に行くということはそこまで浸透していないため、様々なとことで恩恵を受けられると思います。

しかしそれ以上に大きなものとして、自分の価値観を相対化できたことがあります。僕自身は冒頭で述べたように海外経験がなかったため、日本に生まれた日本人の男性としての観点のみで世の中を見てきました。家の中で何か焦げていても鼻が慣れてしまって匂いに気付けないことってありませんか?あれと同じで、今いる場所の特性はその中からだとなかなか気付きにくいですよね。家賃や市場の物価など何事も交渉で決まる香港人を見て初めてモノの値段が比較的変動しない日本経済の特徴がわかりましたし、初回の授業からグループワークが始まる留学先での授業を受けて初めて慶應での授業のあり方について考えることができました。このように「今いる場所」をどのように見るか、今見えている景色以外にも見え方があるのかもしれない、という概念は大きな収穫でした。

 

最後に

まもなく卒業するわけですが、正直このサークルに最後まで居続けたことに驚いています。最初の3ヶ月ほどは日吉練でひたすら負け続けましたし、学年大会で自分たちだけブレイクできなかったのもいい思い出です。そこから多少の努力はしたことや、憧れの後輩や雲の上だった最強同期に連れられて国際大会で頑張ってみたのも楽しい青春でした。競技そのものからは距離をおいてからもずっと遊んでくれた後輩にも頭が上がりませんね。これほどまでに有意義な経験や楽しい思い出をくれたこのKDSに感謝を、そしてあの日教室を間違えてJ441に迷い込んだ間抜けな自分に称賛を送りつつ、この5度目にして今度こそ最後のブログを終えようと思います。ありがとうございました。


嶋本さん、ありがとうございました!!