VIETNAM WUDC 2024
皆さんこんにちは!今回はベトナムワールズの大会について、定岡夏美さん、行徳龍之介さん、山際啓瑞さん、深見太一さんの4人に執筆していただきました!貴重な世界大会の様子やそれまでの練習など、内容盛り沢山の大作となっております!!ぜひご覧ください。
目次
Keio SG(Natsumi Sadaoka, Ryunosuke Gyotoku)
Keio YF (Keisui Yamagiwa, Taichi Fukami)
Keio SG
Natsumi Sadaoka
25期の定岡夏美です。最近チーフ引退しました(2月末に執筆)。
ブログはエリザベ、梅子杯、ブログリレー、アジ橋、JBPに続き6回目ですね。少し読み返してみたんですけど心境変わりすぎてて情緒不安定な人みたいですね。まあディベートってメンヘラ製造機っていうし(?)。今はというと3ヶ月間のストレスの源であったKDOが無事終わってメンタルは安定状態です。あとダジャレにハマってます。お気に入りは4月に出る(予定だった)海外大会のMaynila APの提供ジャッジを探す際に思いついた「ヨンウーいるよんうー」です。隆之介をターゲットにしたのですが隆之介だけでなく太一さんにもスルーされました。悲しい。(追記(3月末):お気に入りの自作ダジャレが更新されました。「キュン死すぎてキョンシー」です。めっちゃうまくないですか???ことごとくスルーされてるので誰か褒めてください)
Ryunosuke Gyotoku
こんにちは。KDSブログに登場するのはJBP 2023以来ですね!何度か書いてみて分かったのですが、私はKDSブログが大好きです。先輩や同期、後輩の大会中の緊張感に触れることができて楽しいですし、執筆2本目の人が1本目の頃の自分を振り返った考えを吐露しているのを見ると、こちらもしみじみとしてきます。執筆作業もやや大変ではありますが、どんな風に書いたら面白いかアイデアをこね回したり、複数人で分担を決めていったりすることも醍醐味だと感じています。あと何回書けるかは分かりませんが、ディベーターを続けるうちは図々しく登場し続けたいです。
今回のテーマはベトナムワールズということで、かなり長いブログとなっています。楽しんでいただけたら幸いです。
大会前
Natsumi
ワールズに出たいなって思いながらも自分はESLかOpenだから誘いづらいなーって思ってたら隆之介からお誘いが来て出ることになりました。嬉しい。出るのを決めたのが去年の2月とか?な気がするんですけど、大会が先すぎてあまり実感なくて気合い入れるのが難しかったです。でも音源にハマり始めたのはこの頃です。今では音源をまとめるのが趣味になってます。この前帰省してた時に弟に「それ楽しいの?」って聞かれました。楽しいです。好きなスピーチを聞くと誰かに共有したくなります。大体陽平さんに送りつけてます。マターノート作り1人では心が折れそうだったのですが、ワールズに出るKDSチームの4人で協力して作成しました。当日あまり使わなかったけどPreワールズとか他の大会とかで調べたモーションが出た時めっちゃ嬉しかったです。チームとしては最初あまり戦績がよくなくて出る大会はほとんどブレイク落ちでした。でもJBPでSF進出、MonashでESLブレイクできてちょっと調子が出てきたかなっていう気持ちでした。でも大会1ヶ月前とかになってワールズ出るのに全然頑張れてないなーっていう自己嫌悪に陥って病み。たしか病んでた(記憶曖昧だけどJBPブログ病み感ある)。でも飛行機でベトナムに着いたときは結構ウキウキしてました。夏が好きなので暖かいところに行くと元気が出ます。
Ryunosuke
直前のJBPとMonashでこれまでで最高の成果を残すことができたので、夏美とは対照的に(笑)病まずに過ごしていました。(夏美とのスケジュール調整の都合もありましたが)あまりディベートには注力しすぎなかった記憶があります。ディベート関連のイベントとしては、とうきょうみに&Tokyo MiniでDCAを務め、同じくワールズに出場する東大チームと数回スパーをしました。
ここで1つ謝らなければならないことがあります。それは、「皆で頑張ろう」と意気込んでおきながら自分がマターファイル作りに貢献しなかったことです。太一さんと夏美がコンスタントにdocsをリリースしてくれたり、啓瑞が参考書レベルのファイル生成と発掘をしてくれたりしたにも関わらず、自分は数本しか書けませんでした。お三方、ありがとうございました。そしてごめんなさい。
話を戻すと、12月はディベートをしすぎない代わりに(?)KDSの同期と先輩で忘年会をしたり、他大の先輩と一緒にクリスマス会を行ったりしました。2023年の思い出を振り返りつつワールズへの激励の言葉をいただき、バタバタしたパッキング作業を経て、空港へと向かいました。
大会中(ベトナム渡航後)
Natsumi
(めっちゃゆるゆるテンションです、日記テンション。気分でタメ語だったり敬語だったりします。)
12/27 チェックイン
ベトナム料理最強。ベトナムのコーヒー最強。
バイクめっちゃ多い。
この日のハイライトは太一さんが靴磨きの人に捕まったこと。
12/28 ブリーフィング/オープニングセレモニー
ブリーフィングぶっち(よくない)してカフェ巡りしました。
オープニングセレモニーめちゃ豪華だった。
イケメン丈さん チームkeio
12/29 予選ラウンド1日目
メンタル死
前日までオーソリ以外は倒せる(その自信はどこから)って言ってたのに
R1から4位
R2はクロージング2チームオンラインで何にも聞こえなかったけど謎の1位
R3は想定の真逆の順番のコールかつ5分RFD
めっちゃ疲れてたし消化不良な試合が多すぎてきょむきょむぷりん
1日目時点で4点。まあ耐えという感じ。
プレパ中(プレパ場所探し大変)
12/30 予選ラウンド2日目
謎のメンタル回復
R4 Japan motionで4位
こんなぴえんってなりそうな結果なのに逆に死んでたメンタルが急回復しました。
なぜかというと、ごちゃらなかった良いラウンドかつチェアのLuigiが神すぎてディベートしてて良かったってなりました。(一緒に写真撮ってもらいました)
R5 WADチームと対戦
R6 記憶にない、、
2日目時点で9点。明日3ラウンド全部1位だったらオープンブレイクも夢ではないという感じ。
全然関係ないんですけどオフィシャルのカメラマンに撮られた写真で太一さんのスピーチ中の写真めっちゃ良い感じ。
12/31 予選ラウンド3日目+ブレイクアナウンスメント
たしか全部サイレントラウンド、、?
R7 なんか今大会で1番好きなスピーチした(多分)
R8 試合が終わった後にめっちゃ上手いチームに “see you in the break rounds!” って言われてディベートでも人格でも勝てない、、ってなった
R9 econ motionでオーソリに向かってやばいスピーチをしてしまった!
オーソリほぼノート取らずに頬杖ついて見てた(やばいサイン)
案の定ふたを開けてみれば4位
経済の勉強せねば
年越しBreak announcement
年越しまでDJのところの前でめっちゃジャンプしてた
初の陽キャ年越し
翌日筋肉痛すぎて歩くの辛かった
BAは自分たちはオープンチームだったのであまり緊張しなかったのですが、他の日本チームの分めっちゃ緊張しました。
最終的には13点。初ワールズにしては悪くない(多分最初で最後w)。
1/1 カウンシル
日本の4票をもってカウンシルに行きました。
次のワールズについてとか今大会であったトラブルの対応とかについて話してました。
オーソリがめっちゃ近かったです。各国の代表が大体オーソリだったので。
特に議論に参加できるわけもなく、とりまそこに存在していました。
1日中大学にいて6時くらいに解放されました。
1/2 メコン川ツアー(ブレイクラウンド1日目)
ブレイクラウンド見に行くのとトレードオフで隆之介、同志社のちさと、ゆうか、筑波のひなの、早稲田のゆとkとメコン川ツアーに行きました。
そのチョイスは正解。めっちゃ楽しかった。
1/3 ブレイクラウンド2日目
見学に行きました!EFL semifinalでUTDSの澤崎さんつちやくんチームを応援しに行きました。夜は日本勢でご飯に行って、その後お酒とかポテチとかを買って太一さんと啓瑞の部屋で澤崎さんと4人でお話ししました。澤崎さんもともと怖いイメージがあったんですけど面白い人だってことが知れて良かったです。深夜2時くらいにまたポテチを買いに行くというイラチョをしたんですけどポテチ食べきれなかったです。眠かったし。
でも自分の欲望に従うとイラチョをするっていうことが学べたので良かったです(?)。
1/4 寝坊(ブレイクラウンド3日目+クロージングセレモニー)
夜更かししたので案の定昼に起きました。
1人で散歩してチョコが有名なカフェに行きました。
QOL高い。
クロージングセレモニーの前にGFを見たんですけど、すごいなって思いました。
レベチすぎる。特にTejasをずっとブレイクラウンドで追ってたのですが、めっちゃ上手いです。あんなにわかりやすいスピーチどうやったらできるのだろう。
1/5 観光+帰国
最終日の観光場所は色々協議した結果ベトナムの謎の遊園地になりました。
結構あやしい匂いがする。
私は絶叫が苦手なので無理だったのですが、啓瑞と隆之介が一回転する系のアトラクションに乗っててすごかったです。
あとホラーも苦手なのでお化け屋敷はVetoするのですが、太一さんに叙々苑を奢ってもらう代わりにお化け屋敷的な何かに入る約束ができました。結局入りませんでした(肉で得られるベネフィットはショートターム、お化け屋敷で得られるPTSDはロングターム)。
Ryunosuke
12/27 チェックイン
悲しくもJALのセールを逃してKDS勢と同じ飛行機に乗れなかった私は、同期のYutoKくんと成田空港から出発しました。恐らく日本勢の中で一番遅かったと思います。
さて入国早々ハプニングが。なんとスマホがsimロックにかかっており、ほぼ使えなくなってしまいました。出国前に調べたらサイトに「このプランの人は特に何もしなくてもそのまま使えるよ!」と書いてあった筈ですが、全然そんなことはありませんでした。海外旅行の際は念入りに下準備しましょう。
という訳で、帰国するまでどこかに行ったらとりあえずWi-Fiを探すという生活を送りました。
ホテルに無事到着した頃には夜になっていました。ホテルの裏側がたまたまベトナムで最も有名なクラブストリートだったのですが、一周してあまりの大音量に頭痛がしてきたので大人しく部屋に戻って寝ました。
12/28 ブリーフィング/オープニングセレモニー
午前中はホテル周辺のカフェを開拓しました。ベトナムのコーヒーは本当に美味しくて夏美とずっとご満悦状態でした。特にエッグコーヒーが衝撃的な美味しさだったので、日本で飲める日を待ち望んでいます。
オープニングセレモニーでは日本勢のディベーターに挨拶したり、Youtubeでよく見るオーソリをリアルで目撃して目を輝かせていました。運営側が豪華な料理とパフォーマンスでもてなしてくれたので、楽しさMAXで次の日からラウンドが始まる実感が湧きませんでした。
12/29-31 予選ラウンド+ブレイクナイト
夏美が各ラウンドの詳細を卓越した文章力でまとめてくれたので、自分は印象に残っているラウンドについて簡単に書きます。
R1 見覚えのあるモーションだったので、考えやすかったがオープニングに全部言われた。我々CGはなすすべもなく4位。スピーチ爆死した。
R3 個人的に予選で1番好きなモーション。RFD5分で終了。あと訛りが強いと本当に何も聞き取れない。もっと海外大会に出なければと反省。
R4 まさかの日本モーションで夏美と「LDPエクステンション使えんじゃね!?」とウキウキ(?)になってたが意外と難しかった。終了後に他の日本勢に聞いたら皆4位回避してて汗
R5 日本勢と対戦。お互いめっちゃ疲れてた。
R6 Centrist Compact(?)。まずinfo slideがむずすぎてclarification channelが”Several people are typing…” ってなっていた(初めて見ました)。終わった後に用語を調べても何も出てこなかったので色々な意味できついラウンドだった。
R9 Opp Whipが少し怖かった。
ブレイクナイトではこれまでの苦難を全部忘れて踊り狂いました。多分5人くらいのスマホに動画が残ってると思います。とても恥ずかしいです。
それはともかく予選中は他の日本勢とあまり接する機会がなく、メンタル的にもお互いゆったりとは話しづらい状況だったので、皆と心の底から「お疲れ様!!」と声を掛け合えたことが何よりも嬉しかったです。
BA後にタブを確認すると13点でした。ブレイクには全く届きませんでしたが、1位を2回取れて良かったです。
1/1 カウンシル
プレカウンシルは東大の方々に出てもらったので、私と夏美はこの日の本カウンシルに出席しました(2人ともJPDU副会長だったということもありました)。各国の代表がワールズ関連のシステムや人事について真剣に議論をしているのを見て凄い、、と感じるばかりでした。自分もロジ面でディベート界隈を支える願望があるので、けっこう面白かったです。
1/2 メコン川ツアー(ブレイクラウンド1日目)
同期+後輩でメコン川に行きました。予選とカウンシルの緊張感で少し疲れていたので、良いリフレッシュになりました。ガイドさんがとても優しかったです。帰りのマイクロバスで爆睡して、ホテルに戻ってUNOをしました。
1/3 ブレイクラウンド2日目
午前中は日本勢でブレイクした人たちの応援に行って、午後は自分が好きなシドニーのオーソリを見学しました。経済モーションで(私の当時の理解では)一見矛盾すること言ってて「???」となっていたのですが、ブレイクしてGFまで進出していたので、それだけ凄かったということでしょう。夜は日本食レストランで打ち上げをしました。他大の先輩と仲良くなれたのが一番の思い出です。
1/4 ブレイクラウンド3日目+クロージングセレモニー
この日はなぜかあまり記憶に残っていないです。上述のオーソリのスピーチを聞けてにっこにこになったことは覚えているのですが、、、
CC終了後は「やっと終わった」と「もう終わってしまったのか」という感情が同時に湧いてきて、何とも言えない気持ちになりました。思いつきで参加を決めたワールズですが、1年近く大会を見据えて努力してきた自分にとりあえずお疲れ様、と言いました。
1/5 観光+帰国
年始だからかやけに空いている遊園地に行きました。太一さんと夏美に見守ってもらう中、私と啓瑞は帰国前の最後の楽しみと称して暴れ回りました。
夕方は戦争記念博物館で時間を過ごし、啓瑞を乗せて空港へと向かうタクシーを見送った後、2人とカフェやレストランに行きました。その日たまたまKDS練が開かれていたのでDiscordの通話に参加したのですが、誰も気づいてくれませんでした。ぴえん。
空港へ向かい、(帰りの飛行機も別なので)太一さんと夏美と別れ1人で帰りました。
大会後/感想
Natsumi
しっかりした隆之介の文章を目の当たりにして焦ってます。ぜひ私の部分をスキップして隆之介のところに行ってください笑
大会後の感想としてはまず本当に行って良かった!良い経験になったしベトナム最高だったし、ワールズに参加するとしたら今回が1番場所もいいしタイミングもいいと思いました。
自分はオープンスピーカーなので今後よっぽど覚醒して最強にならない限りワールズには出ないかなと思ってます。でも今回のワールズでディベートモチベが上がってしまいました。音源でしか見てなかったオーソリが3Dで歩いてて、ICUTではこの方々にジャッジしていただけるかもしれない、、!って思っただけでワールズ中なのにICUT頑張ろうというモチベが上がりましたw
隆之介を真似てこれまでのディベート人生について書きます笑
(とはいえ結構前のブログに書いたことと被ってるので省略気味で)
ディベートは高校生の弟がやっていたのを見て興味を持って、大学生活にも慣れてきた2年生の時にKDSの活動に参加するようになりました。初出場の大会であるエリザベで優勝して、あれ、センスあるのかもしれない(先輩のキャリー)と錯覚してディベート魂に火がつきました。ディベート1年目の時は大会前は緊張して寝れなかったし、ブレイクアナウンスメントでウキウキしてたし、感情の起伏が激しくて楽しかったんですけど、去年の夏あたりを境にディベートに対する感情が麻痺ってしまいました。今では大会前日になっても明日大会っていう実感が湧かないし、一個一個の大会にかける想いも薄くなりました(最近は回復してきているけど)。その原因としては、老化以外にもディベート力が伸び悩んでいたことがあります。1年目の時は知らないこともいっぱいあったからラウンドこなしたり資料読んだりするだけである程度上手くなったのですが、2年目になったくらいから何をしても成長している感覚がない時期が続きました。特に海外大会の戦績が死んでて、大会の結果で打ちひしがれないように、期待をするのをやめました。
(そのメンタリティの結果、最近あったDiliman WGMという大会でブレイクすると期待してなくてカテキョを入れてたところ、ブレイクだけでなくグラファイまで進んでしまってカテキョの途中で失踪しました)
↑この文章は3月頭とかに書いたんですけどその後出た大会であるICUT、ざかん、紺碧はなぜかこれと対照的な結果と気持ちです。ディベート力、ちょっと上がったみたい(調子のんな)。まあこんな感じでどんどんディベートに沼っていくんですね、、、(一言コメント終)
実は2年生の途中までは医学部体育会のバスケ部とダンスサークルを兼部してて、めっちゃ迷った上でディベートだけに絞りました。ディベートにかけてしまった時間が多すぎるからこそ辛いって思っても辞められず、秋TのAC紹介でディベートを続けている理由に「サンクコスト」って書きました笑
もっと頑張らないと今までの努力が無駄になるというプレッシャーだけがディベートを続ける原動力になってたので、医学部の勉強が忙しくなる4年生のタイミングでディベートから一旦離れようと思っていました。研究室にも入りたかったし、アメリカの医師国家試験も受けようか迷ってて、ディベートを休んだらもっと将来のためになることに時間が使えそうだと思いました。まあでも他のディベーターのように引退する詐欺でしかなかったです
年明けからテスト期間にも関わらずアジ橋のDCA、KDOのTDをやり、3月4月にかけてはほぼ毎週大会に出ます引退どころかもっとディベートしてる()
まあよくわからないのですが流れのまま続けてみようと思います笑
ワールズに向けて練習を見てくださった先輩方、本当にありがとうございます!
そしてベトナムで愚痴を聞いてくれたりサポートしてくださったワールズ日本勢の皆さんもありがとうございます!
そしてKDSの太一さん、啓瑞、隆之介、ありがとうございました!
Ryunosuke
まずはお礼を申し上げます。
ここまでサポートしてくださったKDSの皆様、日本サーキットの皆様、そして太一さん、啓瑞、夏美、本当にありがとうございました。
長くなりますが、私自身のディベート人生と照らし合わせながら書いていきます。
私は帰国生かつ高校経験者で、入サー当初は(驕り昂ぶりではなく、ある意味当然の帰結として)同期の中では比較的上手な部類に入っていたと思います。環境のおかげで偶々そうなっただけだし、Overall Best Speakerとか取ってもいないのに周りに褒められて何を勘違いしたのか、自分はかなり上手なんだと勝手に感じていました。ここまで読むと怒り出す人がいると思うのですが、当たり前のことです。そしたらいつの間にか同期にはどんどん追い越され、だんだんスピーカー賞も取れないようになり、、という状況に陥っていきました。梅子杯では経験者の自分がペアの莉子を引っ張るべきだったのに逆にサポートされる形となり、KDSで唯一スピーカー賞を逃して何とも情けない気持ちになりました。以降の大会でもブレイクは何度か経験しましたが、どれもペアに支えられての結果だったと認識しています。
それでも肥大化した自尊心を打ち砕かれるのが嫌で練習するのを避けていたのですが、ワールズ出場という選択をすることで多少なりとも自分と向き合うことができました。ペアの夏美と練習を重ねるうちに、自分の苦手な箇所を見つけて改善するべく努力するという、入サー当初から行うべきだったことを実践することができました。失敗からの失敗で実力不相応なプライドをズタズタにすることもできました。
しかし本番の結果はブレイク落ち。5-6点も足りなかった訳です。自分のレベルでオープンブレイクできると想定することそのものが傲慢だと言ってしまえばそれまでですが、チームとしてのパフォーマンスだけでなく、時のサイド運やコンディションが多分に絡んでくるので、仕方がないと言えます。
それよりも、KDSブログで先輩方や同期が度々述べているように、ある時点での結果が自分のディベート能力を決める訳ではありませんし、努力の過程を無駄と断じなければならない訳でもありません。
このブログを読んでいる方には、少しでもご自身の頑張りを認めていただけると嬉しいです。元が怠惰な姿勢から始まっているのみならず謎に上から目線で書いてしまいましたが、私が自分の努力を努力と認めることが苦手だからこそ、皆様にも覚えておいていただきたいです。
もっと言うと、「頑張る」ことに主眼を置かなくても良いとも感じます。
例えば、私は前述の通りロジ面でディベートに関わることが好きなので、度々大会の運営に参加したり、JPDUの役職に就いたりしてきました。
人からみれば「頑張っている」のかもしれませんが、私自身には特に頑張る目的はありませんでした。もちろん界隈に貢献したい、参加者がエンジョイできる大会を作りたいという気持ちは強いですが、何よりもこういった仕事をするのが楽しいと感じたから選択してきたのです。
「ワールズが終わったら一回ディベートから離れよう」と決めていたのに、いつの間にか(ありがたいことにご信任いただいたこともあり)ナショナルズを初め数々の大会、そしてJPDUの運営に引き続き携わることとなりました。
それは、自分なりのディベートへの関わり方と楽しさを見出せたからだと感じています。
当然のことながら、サーキットの人数の問題から大会運営をせざるを得ない人たちからすれば、贅沢な楽しみ方になってしまいます。そのような人たちのコミュニティに対する貢献意識には常々畏怖と感謝の気持ちを持っています。
その上でお伝えしたいのは、頑張るだけではなく、それぞれが向き合い方を見つけて楽しめたらいいのではないか、ということです。
一緒に大会に出てくれるペアや、トライアウトで自分を代表に選出してくれた先輩方を念頭に置いて努力することは素晴らしいですし、むしろそうするべきだと思います。
しかしそれ以外の面では勝ち負けや順位という客観的な指標に翻弄されますし、結果に「頑張り」を結び付けて考えてしまいがちです。
そういった観点とは別に、界隈に顔を出すことで得られる/得られた楽しさにフォーカスできると良いな、と感じます。
私は中3の終わりに当時のディベート部部長から「うちに来ればお菓子食べ放題だよ!」と言われて入部しました。あまりにもしょうもない理由ですが、なんだかんだで5年以上ディベートを続けています。始める理由も続ける理由も何だっていいんです。
なんだか壮大な言い訳メッセージの様になってしまいました。実際に読んでそう感じた方もいらっしゃるかもしれません。勝利することにフォーカスして、努力を重ね続けている人たちに対しては、強いな、凄いなと感じていることも間違いではありません。それでもなお、ことディベートにおいては多角的なマインドセットを持ち続けることは大事だと言えるのではないでしょうか。
最後に。
今、なぜ・どのように活動を続けていくのか分からなかったり、華々しい成果を残す同期に囲まれたりして辛い人たちがいると思います。ブレイク落ちやプライズ無しの連続でしんどい人たちがいると思います。本当はもっと上手になりたいのに、モチベや他にやるべきこととの折り合いがつかずモヤモヤしている人たちがいると思います。
とかくメンタルが削られがちなディベートにそれでも向き合い続ける皆様に尊敬の念を抱きつつ、各々が活動の内に新たな楽しさを見出せることを願って、感想の結びとさせていただきます。
Keio YF
Keisui Yamagiwa
KDS25期の山際啓瑞といいます。夏美、隆之介と同期です。KDSブログ書くの久しぶりだなー、多分2022年のK-Cup以来だと思います(、と、今書いて思い出しましたが、2023年のGeminiも一応ブログのオファーがあったのでした。あのなんとも微妙な思い出…笑詳しくは「25期の文豪(今僕が名付けました)」こと茂木優人が書いたブログを参照してください。)
実質2本目に書くブログがワールズブログであることはちょっと恐れ多いのですが、この際いろいろ書いてみようと思います。各ラウンドの感想は夏美と隆之介がたくさん書いてくれたので、僕はワールズ入りする前の話をメインにします。生暖かい目で見ていただけると幸いです。
大会前
「学生生活のどこかでワールズに出たい」とはずっと思っていました。どこでワールズの存在をちゃんと認知したのかはもう忘れてしまいましたが、一つ覚えているのは、たまたまyoutubeのおすすめに出てきたMadrid WUDC 2023 (今年のワールズのちょうど一個前)のrecapを見て感銘を受けたことです。
https://youtu.be/5OTEQl1QEHI?si=VNluS72OVyfi8d8m
↑ 良くないですか?笑
文字通り世界中からディベートを愛する人たちが集まって、対戦したり、談笑したり、一緒に観戦したりできるワールズってきっと素晴らしい場所なんだろうなと、これを見て思ったのをよく覚えています。曲も好き。(実際にワールズは素晴らしい場所でした。)
そう思っていた矢先、太一さんがKDSのDiscordでワールズに出るチームメイトの募集をしていたので、太一さんのポストから1時間後くらいに「僕ワールズに出たいです!」とDMしました。立候補当初は、もちろんやるからには覚悟を決めなければならないことはわかっていましたが、それ以前に「まあ立候補したけど、どうせ僕よりも強い同期とか先輩が立候補してそっちと組むんだろうなぁ…」と思っていたので、期待はほどほどにしていました。
…そしたらなんと僕以外の立候補がゼロで(笑)、あっけなく僕がペアとして決定してしまいました。ネモフィラカップ1日目の夜に、太一さんと一緒に目指す場所(EFL break)と、僕がこのワールズを通して何を得たいのか等を話し合い、一気にワールズ出場が現実味を帯びてきました。
ワールズに向けて個人的に注力していたのは、各テーマの理解を深めることと、そのためのマターノート作り、及びディベートの技術(framingなど)に関する勉強です。と言ってもほとんどはレクチャーをメモ付きで寄せ集めただけですが。なんでスピ練やラウンド練よりもこっちを最初は重視したかというと、各分野の重要なマターや視点をちゃんとわかっていないまま無闇にラウンド練をこなすのは時間がもったいないと思ったし、当時の自分には音源から学習することは敷居が高かったし、2年目だしそろそろ「確固たる基礎」なるものをちゃんと身につけておくべきだろうと思っていたからです。
効率を多少度外視して理解することに時間をかけて、マターノートっぽいものが完成したのは夏休みの終わりごろのことです。その後ブラッシュアップとコンテンツの追加を重ねて、これをやり始める前と比べたら今はだいぶ知識量が向上しました。やってよかったです。
ただ少し注意点があって、もう想像つくかもしれませんが、ちゃんとスピ練やラウンド練とのバランスはとったほうがいいです。そして自分が勉強したテーマと同じテーマを扱ったmotionをピックアップして練習するともっといいと思います。特に当時の僕のような、スピーチがまだまともにできない人は笑。知識は実践を通したほうが良く吸収できますよね。「勉強する」ことが楽しくなりすぎてしまった人の自戒です。
ワールズに出る前に何個か海外大会に参加しました。
一番最初の海外大会が、オンラインで開かれたヨーロッパサーキットのTabtastic Summer Openというもので、まあ早速打ち砕かれました笑。やっぱり日本人と比べて喋るのは全体的に速いので、音源を聴いているとはいえWhipをするのは本当に地獄でした笑笑笑。日本時間の深夜から始まる大会に参加するのもこれが初めてで、体力的にキツかったです笑。
こんな感じで色々地獄があったのですが、終わった当初はそれと同じくらいにワクワクを感じていました。レベルが高くてマター面でもマナー面でも勉強になるディベーターが多かったし、めっちゃマターダンプする、めっちゃzoom接続の悪いチームに一位をつけていたジャッジ(もちろんjustificationもちゃんとしてる)がいて、こういう人たちは頭の中どうなってるんだ(褒め言葉)と思いました笑笑笑。こんな人たちみたいにディベートできたら、本当に楽しいだろうなと憧れました。
その後夏休み期間中にRegatta IVやDiliman pre-ABPなどに出場して、BPの感覚等を徐々に掴んでいきました。夏休みの最後の方に太一さんがABPでななことEFL GFにまで行っていて、僕もディベートモチベを上げつつ、練習と勉強をしていました。
Diliman pre-ABPの大体一ヶ月後、秋学期の初めに、Asian Online Debating Championship pre-WUDC (通称AODC)に出場し、これが僕の初めての海外大会ブレイクとなりました。EFL breakとはなりましたが、ブレイクをそれまであまりしていなかったのもあってすごく嬉しかったし、何より自分の成長が一番感じられた大会でした。春から勉強していたマターが段々と自分のモノになって、前よりも明らかに速くアーギュメントを思いつけるようになったし、プレパ中にもクリティカルな視点を出せてチームに貢献できたり、Whipも大会を通して自分に合ったスタイルや、それに伴う紙の使い方をようやく作り出せたからです。予選も感触は悪くなく、常にポジティブでした笑笑笑。
チームポイントがそれなりに高かったのもあって、強いディベーターたちと当たれたのもよかったです。特にR5で当たったLSEのShaurya。かの有名なHWS Round Robinにも出ていたり、Tokyo IVでもABPでもブレイクしたり、今年のワールズでもジャッジブレイクしている超つよつよdebaterですが、まーーーじでうまかったです笑笑笑。本当に当たってよかった。僕達のOOの分析は潰されて4位だったけどハッピーハッピー(これをもっとちゃんと悔しがれるように、僕も成長しないとですね)。
また、この大会ではUTDSのTsuchiya&Sawazakiペア(のちのVietnam WUDC EFL Semi-Finalists)と2回対戦したり、Bucharest B (のちのVietnam WUDC ESL Quarter-Finalists)に至っては、R2, R4, EFL SF, EFL GFと4回も対戦して、僕は勝手に親近感を抱きましたw(Bucharest B、ベトナムの会場でも見かけたのにチキって挨拶に行けなかった…!泣)
結局EFL GFでこの大会は敗退となり(EFL ChampionはBucharest B)めちゃくちゃ悔しかったのですが、自分自身の成長を感じることができ、さらにモチベが高まりました。
AODCで初めての海外大会ブレイク。嬉しいね。
それから少し間が空いて、次に出たのが11月中旬のAteneo IV pre-WUDC。
R1から嬉しい出来事がありました。LOが、僕と太一さんが好きなWSDC 2023 Team Sri Lankaのdebaterだったんです!今でもその時の録音を聞き返して、僕と太一さんの
LO開始20秒後の太一さん:「…これスリランカの人じゃない?」
僕:「…あ、ほんとだ!おおおお!」
という会話が流れてくる度に笑ってしまいます笑笑笑。
このラウンドはOOが1位、僕たちCOが2位で、OGにいたNTUの強いチームにも勝てて、これまたハッピーハッピーでございました。
4点で迎えたR3が悔しかったです。
R3 motion: Assuming that no other life exists in the galaxy, THP that humanity collectively expands and colonizes other planets as opposed to one that preserves and adapts on Earth.
見慣れない宇宙motionでCGからのextensionを出すのが難しく、なおかつOOのケースを潰し切ろうと思ってGWの自分から意気揚々と出した「A4用紙赤字ビッシリ、魂の5 rebuttals」も虚しく終わり、4位でした。。。結局OO1位だし。魂の5 rebuttals効いてないし。あとでタブみたら75点だし。がんばったんだけどなぁ。そーゆーこともある。。。
2日目のR4, R5も頑張ったのですが、あと一点のところでOpen breakを逃してしまいました…悔しい。でもAODCで得たものを生かすことはできたし、成績も悪いわけではないので、モチベが崩れることは全くありませんでした。
また、このR3のことがあってから、自分のWhipスタイルを少しだけ見つめ直しました。具体的には、それまでは相手の分析に対してひたすらrebuttalを出すスタイルだったところに、もうちょっとweighingを入れることを意識しました。ちょっと遅い気もしますが笑。結局相手のケースを全部認めたとしても自分達の出すキャラやインパクトの方がより重要であることを示さないとダメですもんね。結構ワールズも迫ってきて、ここでweighingを習得できるか不安でしたが、日常のふとした時に適当なmotionでGov, Oppを考えて、それぞれのケースのweighingを考えるようにしたら、ワールズまでには案外それっぽいものができるようになりました。
12月は…キツかったです。ディベートの結果というよりも、学業との両立の面でキツかったです。毎回の課題が急に増える授業があったり、苦手な実習系の授業の負荷も上がってきたり、ちょっとした研究の授業のための準備もありぐっすりと眠る時間が少なかったのがかなりのストレスになっていました。ぐっすり寝過ぎて授業に寝坊するのが怖くて、毎日ソファで寝ていたせいで、疲労が溜まっていました。
一番初めの週に出たZagreb pre-WUDCでは、R4が終わるのが夜の4時だし、R3のOGの言ってることが、英単語一つ一つは知ってるはずなのに全くわからなくてWhipで死ぬし、4位だったので、ちょっとヤバくなってしまって、OAが全く頭に入らなかったし、自分に対してEFL victimizationしてしまいました。点数的にもあと一点でESL breakできなかったのが悔しかったし、もともと元気があまりなかった分、結構落ち込みました。ワールズ前の1.2を争うくらい精神状態がやばかった時期です笑。
(ちなみにこの大会でもTsuchiya&SawazakiペアとBucharest Bと少し当たりました。)
次の週のMonash pre-WUDCも振るわず、出場を予定していたさらにその次のIndia pre-WUDCに至っては、僕の課題の都合でキャンセルし、太一さんのアイアン参加ということになってしまいました。太一さん、申し訳ございませんでした。ただIndiaの前日のKDS忘年会で久しぶりにみんなの顔が見れて、だいぶ心が落ち着きました。適度な飲み会大事。企画して下さったりゅうきさん、ありがとうございました。
課題に追われ続け、ベトナムに旅立つ前の二週間くらいはラウンド練をほとんどしていませんでした。強いて言えばWUDC公式が直前になって出したLatin AmericaとAfricaのレクチャーを見ていたくらいです。
そんな感じで、慌ててパッキングをして、家を出る直前に英語のエッセイを仕上げ、羽田からのVietjet Airでホーチミンへと飛び立ちました。
ベトナム
12月27日。ベトナムに来てからは気分が一転しました。天気いいし、あったかいので、気分上がりました!!!空港からワールズが出してくれる車でホテルに向かい、正式なcheck-inを済ませ、ワールズT、ワールズバックをもらって、いよいよだなと感じました。先に観光していた夏美、太一さん、Hit-Uの遼生さんと合流して、ホーチミンを観光しました。太一さんが路上の靴磨き師にぼったくられたらしくて、早速の笑い話に癒されました笑(当人はそんなことないと思いますが笑)。
観光の後は久しぶりのオープニング練を夏美として、頑張って感覚を取り戻しました。Tsuchiya&Sawazakiペアの澤崎さんにフィードバックをもらい反省会をした後、(数日前からベトナム入りしてベトナムフードに飽きた結果、初日の僕たちに牛角での食事を提案してくる)澤崎さんを振り切って(笑)、太一さん、澤崎さん、関西debatersと一緒にベトナムフードを夜に食べたりしました。美味しかった。値段を勘違いしたせいでエビが信じられないくらい高かったけど。店員さんが珍しがって写真撮ってくるの見て初めてやらかしたの分かったけど。
エビ。美味しかった。なんか撮られてるけど。
12月28日。日本勢が対面レクチャーに行く中、僕はホテルでまだ終わっていない課題をして(悲しいね)、太一さんが帰ってきた後はTsuchiya&Sawazakiペアとオープニング練をしました。
夜はいよいよOpening Ceremony。日本勢とたくさん会ったし、音源で見ていたdebaterたちがすぐそこにいたりして、マジで興奮してました。夏美とか隆之介とか太一さんと、ずっと「〇〇いる!!!」って話してました笑笑笑。
12月29日から31日にかけては予選の9ラウンドが開かれました。
今年のワールズは、、、なんだかmotionがあまりよくわからないものが多くて苦労しました。よくわかんないpoliticsのmotionばっかりだったし(Centrist Compact???なんだそれって感じ)、outroundsは難しいecon motionばっかりだったし、部屋はエコーがすごかった。ただ、わからないなりに自分から頑張って出したweighingを何ラウンドかでchairの方々に褒めてもらえたりしたのは嬉しかったです。
R1のOGからアフリカアクセントが全くわからなくてメンタルやられかけたり、R4ではまさかのJapan motionのOOで、太一さんとどっちも80点スピーチして一位でハッピーハッピーだったり(あとでこのmotionでモデルディベートがされていて、音源でずっと見ていたMatt CaitoとTin Puljićがペアでディベートしてたのもエモかった。Aditya DharとJessica Musulinのスピーチも生で聴けて幸せでした)、R6でチェアロールされて、もともと2位だったところが3位になって悲しかったり、R8のecon motionで僕が分からなさすぎてアワアワしてたところを、太一さんが冷静に表まで書いて処理しててカッコ良すぎたり、R9ではself pityを辞書を引かなくて事故ったり、色々ありました笑笑。。
プレパの様子。体力勝負でもあるワールズでは、目が疲れやすいコンタクトはせずに、メガネをかけてラウンドをしていました。
31日のブレイクナイト。最終ラウンドの感触が微妙で、会場の爆音で耳が早々にやられてしまったので、僕はずっと静かなところでソワソワしていました。自分でバックタブする勇気も無かったです。アナウンスメントが始まり、結果はEFL 1st Reservedでした。感情が爆発した太一さんを横に、自分は、1番頑張ったのは太一さんだし、太一さんにただついていっただけだから泣く資格なんてないと思いながら、そのスライドが流れてからしばらくは泣くのを我慢していましたが、隆之介に抱きしめられて一気に涙が出てしまいました。自分なりに頑張っただけに、本当に悔しかったです。
あと1ポイントだった…!
Break Nightの年越しのタイミングで流れていた、ABBAの『Happy New Year』が今でも忘れられません。あの柔らかい曲調で穏やかに新年を祝う感じと、その後のBreak Announcementで自分たちが1st Reservedになった時の絶望感の対比が、脳裏に焼き付いて離れません笑。帰国前にKDSの4人で行った現地の遊園地でも流れていて、31日の夜がフラッシュバックして、軽くトラウマなのかもしれませんが、今となってはいい思い出です。今後ワールズに出るときに、本当のHappy New Yearになるように頑張ろうと思います。
ものすごい放心状態と、一気に来た疲労感で判断能力が明らかに低下していて、ホテルの部屋に戻った後にシャワーも浴びずに冷房ガンガンの中何も上に掛けないで寝てしまったら、元日に思い切り熱を出してしまい、太一さんに看病してもらうことになってしまいました。僕の方から予選含め何もしてあげられなくて申し訳ない気持ちになりました。。。
最後ちょっとネガティブになってしまいましたが笑、今回のワールズは一生忘れることのない経験です。マジでポンコツだった自分とここまで一緒にディベートしていただいた太一さん、本当にありがとうございました。太一さんの知的好奇心を忘れることのない姿勢と、常に前向きでいようとする姿勢を、ディベートという競技を超えて僕はこれからもずっと見習い続けようと思います。そして一緒にベトナムに行った夏美と隆之介、その他の日本勢の方々、ありがとうございました!!!
最後に、夏美と隆之介に乗じて、僕もここで今までを振り返ってみようと思います。
僕は高校までディベート未経験でただ「英語喋れるのかっこいい」という理由で大学ディベートに足を踏み入れてから、一年目はディベートと英語のできる人たちに圧倒され、成功体験もやる気もほとんどなかったです。梅子なんて普通にトライアウト落ちだし、どうせ負けるだけと思って大会には全然出ていませんでした(2022年に出たのはエリザベ→K-Cup→紅葉杯→とうきょうみに→ザ関西、の5つのみです。学年大会ですらほとんど出ていないw)。ちゃんと身についた/覚えたものといえばCJSのretribution, rehabilitation, deterrance, segregationくらいだったんじゃないかなと思います。結構マジです。BoPとか全然意識できてなくてアーギュメントの作り方はわからないままだったし、反論でeven ifを出すことなんて全く意識してなかったし、weighingに至っては概念を認知していたかすら怪しいです。有名なchoiceのprincipleとか1年の秋になって初めて知りました。そしてこういう疑問を人に聞く勇気を出せなかったのも良くなかったです。自分の(当時の卑屈な)マインドセットが、外界からの成長につながる情報の遮断という形で、明らかに自身の成長を阻害していました。
そのせいで、正直一年生の秋頃なんて「どうせ非帰国未経験の自分に活躍の場所なんてないし、いつ辞めようか」としか考えてなかったし、練習もしていませんでした。
ですが冬になって一つの転機がありました。Tokyo mini 2022を観戦しに行ったことです。1日目の「ひらがなみに」で3ラウンド中2ポイントしか取れず、いつも通り(笑)いつ辞めようかなーと考えていましたが、ほんの少しだけ悔しい気持ちはあったし、観戦にはお金がかからないと聞いたので、もともと2日目のTokyo miniへの出場予定はありませんでしたが観戦だけしに行くことにしました。人生初のOpen大会の観戦です。そこで自分の先輩たちや、他のうまい人たちがバチバチにやりあっているのを見て、KDS入会の時から自分の中で失われつつあったディベートへの魅力を改めて感じました。広い講堂で行われたGFでは、マイクを持ってスピーチするディベーターの方々も、メモをとるジャッジの方々も全員がかっこよかったし、GFなのにみんなが笑うスピーチをしている人がいたりして、正直内容は全然トラッキングできていなかったけど(笑)その会場の雰囲気が脳裏に焼き付いて、どこかで「こんなに上手かったらディベート楽しくて仕方ないんだろうな、自分もこうなってみたいな」「まだ辞めてはいけない気がする」と思っていました笑笑笑。オフラインでこういう雰囲気を味わえるのは本当に格別なので、一年生の方々などは特に行ってみることをお勧めします。
その後、2年の春頃になってから周りの目をあまり気にせずに「ディベートのことを解りたい」という気持ちに正直になって、多少結果が伴わなくてもへこたれずに勉強と練習をしていたら、太一さんのような素晴らしい人に巡り会えたり、プレワールズでも惜しいところまで行けたり、今回のワールズのような素晴らしい経験ができたり、つい最近のザ関西でもOpen breakできたりと、一年目の自分は想像しなかったであろう成長ができました。Tokyo miniに観戦しに行った過去の自分に感謝しています。
今この競技をやめようと思っている人がいたら(特にディベートはじめたての一年生の方々)、先輩たちに悩みを相談してみたり、他インステに顔を出してみたりすることをお勧めします。みんなどこかしらで同じような気持ちになったことがあるはずなので、親身に聞いてくれると思います。僕みたくレベルの高いOpen大会を観戦しに行くのもめちゃお勧めです!そして自分なりに成長できそうな手法を試行錯誤してみると、少し楽しさが分かってくるかもしれません。
長くなりました!ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました!!!
Taichi Fukami
ちゃんと時系列に書いていっている夏美、隆之介、啓瑞をよそに、感想と反省だけ箇条書きさせていただきます。経済学部4年生の深見太一です。高校でのディベート経験はありますが帰国子女ではないです。
ワールズ楽しかった
①アフリカチームとあたれた
普段中々当たれないアフリカ大陸の人たちと何度も対戦しました。着てるユニフォーム(?))超かっこいい!って思ったり、予選であたった人が別日に気づいてくれて雑談できて嬉しかったり、総じて交流が楽しかったです。試合の間には、前回のワールズの話やプレワールズにいくつ出た?みたいな話題で盛り上がっていて、どこの地域でもディベーターはディベーターなんだなと思いました。
②ジャッジと話すのもとても楽しかった
対面で色々なサーキットのジャッジからフィードバックをもらうのはとても有益かつ楽しかったです。ジャッジもワールズだからなのかもともとなのか、丁寧で率直なフィードバックをもらえました。各試合のフィードバックを踏まえつつ、プレパやスピーチの方向を微調整/改善する過程自体も楽しくて、ワールズに出てよかったなと思いました。
③ABPで会った人と再会出来て嬉しかった
別のブログに記載の通りABPというアジア圏の国際大会にも出ていました。その時知り合ったディベーターやルームメイトと再会して話した時はとてもうれしかったです。知ってた人がブレイクしたり本戦で勝ち進んだりした時は感情移入して感動でした。ブレイクアナウンスメントの時にABPのR1で当たった振る舞いやスピーチの雰囲気が大好きなインドのディベーターと再会したのですが、そこでお互いを労ったことも忘れられません。
④ベトナム観光出来てよかった
フォーや甘めのコーヒーが美味しかったり、気づいたら道端で靴磨きされていたり、日本では出来ない体験が出来て新鮮でした。またホーチミンの戦争博物館ではベトナム戦争の悲惨さがかなり生生しい形で展示されていて、とても印象に残っています。
ワールズ悔しかった
①ブレイクアナウンスメント本当に悔しかった
ブレイクアナウンスメントで、EFLリザーブ一位なことがわかって、色々な思いで心が一杯になりました。なんか絶対他に出来たことあったはずなのにそれが出来てないことに悔しさとやるせなさを感じました。その一方でここまで悔しがれるまで、自分なりにワールズに向き合えてよかったなとも思いました。いっしょに時間とお金を溶かしてくれる啓瑞がいなかったら当たり前だけど出来ないことだったし、金銭や心身の健康の面でディベートに全振り出来る環境を作ってくれた家族には感謝しかありません。
②R9!
R9はEFLバブルでした。結果的にその部屋で2位以上をとればEFLブレイクという状況で、僕たちのチームはOOで3位でした。(COで一位をとったチームはEFLで上位ブレイクしていました。)タブを見たらCO CG OO OG という順位で、CO/CG/OOのスピーカーポイント差は1点ずつでした。ジャッジから見てクロースな試合だったのだと思います。あともう少しプレパ中の判断や理解の質を上げれば勝てたのかなと思うと悔しさを感じる一方で、それができなかったのが実力不足だなと思います。敗因は大きい順に、モーションのワーディングへの理解の曖昧さ、ケース選択の甘さ、イラストの精度、インパクトの説明の仕方にあると思っています。
もし来世でもワールズに出ることができたら自分に伝えたいこと
①一試合一試合本気で向き合う
ワールズの予選での集中力やフィードバックの吸収力は今までで最高レベルでした。言うは易しという話ですが「練習は本番のように、本番は練習のように」の意識を常に持ちたいと思います。
②ジャッジとして実績を積む
EFLでディベーター実績を残していく上では特に、i. 試合の流れや論題の本質を理解して、言うべきことを戦略的に絞る力、ii. 海外サーキットの試合の見方、議論の評価の仕方を知ること iii. 海外のディベートコミュニティへの接点をもつこと・名前を知られること は大切だと思います。そのための手段の一つとして、2・3年生の間にジャッジとして海外大会にもっと出ておけばよかったなと思います。
③もっと先輩に頼る
個人的に、自分と比較的実力が近い人と一緒にチームを組んで爆死しつつたまに勝つのが楽しいと思っていたところもあり、あまり先輩と組むことができていませんでした。ただ先輩と出る大会も同期や後輩と出る大会と同じくらい楽しいし、先輩から得られる情報やノウハウは多くあるなと今になって思います。1,2年生のときに積極的に先輩を誘って大会に出ようとすればよかったなと思います。
④(出来るなら)ワールズにできるだけ何回も出る
まず楽しいから、2つ目にその方が最終的な結果に繋がると思うからです。
ワールズの予選は9試合あり、最後の3試合はサイレントです。R6にたどり着くまでの雰囲気や最後の3連続サイレントラウンドの独特の感じは他の大会では中々経験出来ないものだと思います。勉強や進路関係の都合で2,3年生の時は出るのを躊躇していましたが、その頃から出来る限りの準備をした上で出てみるということを試みればよかったなと思います。
大学を卒業するのでメジャー大会にはもう出られませんが、ヨーロッパの大会でいつかオープンブレイクしたいです。ここまで読んでいただいた方ありがとうございました!