2020ブログリレー #3

みなさんこんにちは!ブログリレー3日目の本日は中国に留学中の斎藤遥さんに書いてもらいました!KDSに興味のある新入生の中には「大学中に留学したいな…」「留学とかしてみたいな…」などなどと思う方もいると思います。今回のブログでは留学とディベートを絡めて執筆していただいたので是非留学に興味ある方は読んでください💫


『 弱小2年生の留学』

こんにちは。中華人民共和国にある南京大学に派遣交換留学中のKDS2年の齋藤遥です。(2020年3月現在)

今回は、21期の中で私が唯一日本国外において留学生活を送っていることもあり、「留学とディベート」という内容についてブログの執筆を依頼されたので、拙い表現力と内容にはなりますが、自分なりに執筆させていただきます。

本記事の特性上、ディベート/KDSとは直接的に関係がない話が散見されるとは思いますが、どうぞご了承ください。(お急ぎの方は、本記事ではなく他の優秀な同期等が書いた記事を見に行く等の措置をとっていただければ幸いです。)

※実は本稿がKDS Blogにおいて2回目の執筆となる訳ですが、1回目のブログ記事においては「”Tokyo X”という相手のチーム名を聞いて豚のしゃぶしゃぶが食べたくなりました」などといった支離滅裂の表現を織り交ぜていたので、今回はより明確で真摯な表現を心がけて執筆していきたい所存です。


Table of Contents

  1. 個人的感想

  2. おまけ


1.個人的感想

思い返してみると、私が留学を意識しだしたのは、1年生の夏頃であったとおもう。ちょうどそのときは、銀杏杯やら夏合宿等で「ディベート」が常に頭の片隅にあった時期であった。なぜ、「留学」をしてみたいのか。その理由は人それぞれであろう。それは交友関係を広めるため、海外での一人暮らしを経験するため、語学力を向上させるため、海外の教育方法に触れるため、自分自身を見つめなおしたい、などなど。たくさんの理由があるだろう。私自身も交換留学の志望理由書で、たいそれたことを長々と書いていたはずだ。

実際に、KDSの中でも留学に行く人は身近にいた。私にとっての初めての国際大会は2018年に中国広州Guangzhouで開催されたNEAOであったが、その時にチームを組んでいたパートナーは、当時香港に留学中のKDSの先輩であった。

以前にも海外に暮らしたことがある上に、これまでの人生の中で休みが出来たら頻繁に旅行に出かけていた私にとって、海外での生活はそこまで敷居の高いものとしては捉えてはいなかった。そのうえ、中国は以前経験済みであったので、障壁は少ない方であっただろう。むしろ、生活拠点を移すことへの不安より、留学から帰ってきた後の単位への心配の方が大きかった。実際に2年生の春学期では以前よりもまじめに授業に行き、1年生の春学期以上の授業スケジュールを組むことで、単位を稼ぐことに躍起になっていた。

1年生の時は、若さゆえの勢いではないが、ディベートに熱中していたと思う。高校生の時から続けながらも燃焼しきれず、諦めが悪かったという言い方もできるかもしれないが、とにかくディベートを楽しんでいた。1年生の冬、2年生の春になっても、全てのリソースをディベートに費やす機会は年月とともに少なくなってしまったが、練習にいき、出たい大会には出ていた。

校内選考に受かり、留学に行くことが現実的になってきたところで、特段ディベートから距離を置こうとはその時考えなかった。1年生時の梅子杯に出なかったねじれた性格のせいかもしれないが、2年生の時にはジェミニ杯にも出なかった。(勿論、他の予定があったのだが) ジェミニ杯を2年生で経験しなかったので、一種の区切りを意識することもなく、日吉練も新歓の時期が終わっても継続して行き、授業でもディベーター特有かもしれない理屈固めの早口英語スピーチをしてしまったこともあった。

なぜ、ディベートを始めたのかと聞かれても、今ではもうよくわからない。KDSに入ったのは、高校生の時にディベートをやっていたからであろうし、高校生の時にディベートをやっていなかったらKDSという門戸を叩いていたかどうかも正直わからない。勿論、叩いていてほしいとは期待するが。なぜ高校の時にADU(浅野ディベート部)にそもそも入ったのか。わからないのではなく、覚えてないだけかもしれないが、とにかく前述の質問が来ても、「もともとやっていたからやっています」といったポエムみたいな回答しかできないであっただろう。

とのことで、2019年の9月から本格的に中国に生活と勉学の拠点を移した訳だが、初めての「一人暮らし」には、期待と心配の両方が混ざっていた。

「一人暮らし」とはいっても、教室までドアツードアで5分以内の通学が可能な、大学のキャンパス内にある寮で、特段苦労が伴う生活環境ではなかった。ついでに言えば、中国はゴミの分別という決まりが日本ほど浸透しておらず、ペットポトルだろうが、缶であろうが、紙であろうが、生ごみであろうが、フロアにあるゴミ箱に投げ捨ててしまえばいいという「夢のような環境」であった。

また、「留学」とは直接関係ないかもしれないが、日常生活がすべてオンラインで完結するのも魅力的であった。高級なお店でもストリートのお店でも全て金銭的やり取りはAlipay(支付宝)やWeChat Pay(微信支付)といったQRコード決済で完結してしまう。ものを買うときは、Taobaoという世界最大級のオンラインモールで完結した。SIMのチャージから寮の部屋の電気料金、ランドリー代、各種予約など、ほぼすべてのことがWeChat内でボタン一つと指紋認証をするだけで完結した。

ちなみに、留学中は、空き時間が比較的多い、サービスの提供レベルに対しての物価が安い(=コスパが高い)ことに便乗して、美味しいものをたくさん食べれたし、中国国内いろんな場所を訪れながら楽しい思いをしてきた。まさに、人生の夏休みと表現するのにふさわしいものであり、そこは現実から逃避できる「夢の国」であった。留学先の大学では自分の興味のあるものだけ学んでればよく、慶應の時みたいに、微積分の単位を1回落として、なぜ高校2年で解放されたと思っていた数学をまた強制的にやらなければいけないのかと、無駄に自問自答することもなかった。

残念だった点を挙げるとすれば、授業時間であろう。中には、一コマが150分というような授業もあった。(間に10分の休憩*2を挟むが) 集中力が続かないダメ人間にとってはきつかった。そのほかにも、夜の21時ごろに終わる授業もあったので、午後の空き時間に自室に帰っては2時間ほど昼寝をして調整をしていた。

別に私がいかにダメ人間なのかを表現したいのではなく、なにが言いたいかというと、現地学生の熱心さである。嘘かのように、毎回教室の席は前方から埋まっていったし、ほとんどの学生がノートテイキングに励んでいた。(勿論、パソコンの陰に隠れながらスマホでネトゲをしていた者も数人はいたが) 授業時間についてさんざん文句を言ったが、見方を変えると、これらは整備された学習環境の裏返しであるのかもしれない。

このように、一見して何も不自由のない環境に思えたが、「ディベート」となると事情は異なってくる。

勿論、中国は国土面積も人口規模も日本より大幅に大きいので、開催されている練習会や大会等も各地に点在していた。ただ、上海と北京という二大都市の存在力は強く、ディベートを組織的に継続している大学の数も北京・上海に集中する傾向にある他、中学生や高校生のための環境は圧倒的にこの二都市が優れているのも事実である。無論、広州・深圳エリアや江蘇省においても活動はされているが、前者との差が顕在するのは否めないだろう。(特定の地方出身の個人の能力差という話ではなく、各地方ごとでの環境の差のことを述べている。)

その点でいうと、南京は決して東京のようにディベートが盛んなわけではなかった。注釈をつけておくと、南京市は人口が850万人もいるので、北京や上海には及ばないが、決して「地方」ではない。(ちなみに、大阪府が880万人、愛知県が750万人程度)また、高速鉄道(日本でいう新幹線にあたるもの)で上海まで1時間/北京まで3時間といった様に、交通の便は非常に良い場所ではあり、私自身もその利益を享受していた。が、現状は組織的に継続して練習しているインスティテューションは、1~2ほどである。

※「組織的に継続して練習している」とは1週間に複数回の練習を開いているものとする

このような活動規模・リソースの地域間格差は、中国だけに限った話ではないだろう。個人的な話にはなるが、自分のディベート人生を振り返ると、これまで環境の面では恵まれていた方といえるだろう。高校時代も学校が横浜市という立地条件や、当時の顧問がディベート経験者、また大学時代も、KDSというとても強力なインスティテューションのもとで比較的恵まれた環境下、不自由なく活動することが可能だった。

「都内出身の慶應生」というレッテルをはられがちな私が言うのはもしかしたらおこがましいかもしれないが、環境はやはり無関係ではないのだろう。しかし、環境がすべてかと聞かれたら、そうとは思わないと答えるだろう。実際に自分より何倍も努力した人たちを見てきたからであろう。例えば、自分がいた南京のある大学に通うある人は、その現状に満足することなくディベートの練習をしていた。ディベートの練習は一人でもできるし、インターネットには優秀な音源たちがたくさん転がっている。実際に、上述した地方間格差を踏まえての措置だと思われるが、「オンラインレクチャー」と呼ばれるものの数が多かったし、定期的に行われていた気がする。(全て参加していたわけではないので詳細の説明は省かせていただく)また、中国政府の大規模情報検閲・統制システム(通称:グレートファイアーウォール)のもとでYoutubeや国外の主要メディアがアクセスできない環境にいながらも、その知り合いはVPNを使ってアクセスし、ディベートに時間を費やしていた。受動的な練習の質は変えるのが困難でも、主体的な練習の質は自力で変えられる。そう言っていた。むしろ私こそが、KDSという最高峰の環境があるのにも関わらず、その効用を最大化することができていない典型例なのかもしれない。ディベートのラウンド中では散々バースロッテリーや出身環境による差異を語ってきたが、ただの机上の空論を機械的に喋っていただけなのかもしれない。ディベートだけに限った話ではもちろんないのだが、この「地域間格差」というものを、この中国・南京で、「ディベート」というレンズを通して身をもって体験できたかもしれない。

日本国内でも、各地域で練習や大会の環境は異なるのであろう。(東京以外の練習に出たことがなく予想でしかないので、もし一緒であったら申し訳ない)しかり、国が違えば、その文化や慣習は大きく変化し、見えてくる景色も別物なのでは。そう思えてきた。

とは言っても、今まで私が参加した海外大会は決して多くはない。(ここでの海外大会は日本国外で行われた国際Open大会のことを指す)2018年ではNEAO、2019年ではChina BP,NEAO,South China BP程である。もちろん、私よりも国外の大会に出場している同期はいるし、なにゆえ私は偶然なのか、潜在的な意識が働いているのかは不明だが、大会の場所はすべて中華圏である。有益になるかは分からないが、「海外大会」について簡単に共有できればなと思う。

※私が滞在していたのは中華人民共和国域内であるので、事実上ここで話しているのは中国大陸での状況となる。

まず、言語面だ。過度に英語が通じることを期待してはいけない。実際China BPの時では、会場が北京にある大学の構内だったのだが、構内に入る前に警備員に止められてしまった。もちろんその警備員のおっちゃんは英語を喋れる訳がないので、中国語で大会に参加するといった経緯を説明し、パスポートと学生証を提示することでなんとか無事入構することができた。なので、中国に行くことになったら、中国語のできる人と行動を共にする or 最低限Google翻訳をダウンロードしてから臨むことをおすすめしたい。

同じく言語面でいうと、海外大会は参加者の英語力のレベルが高いなと感じた。海外の人と言っても様々な国の方々がいるし、全ての日本人の英語力が悪いというように極端に一般化する意図はないが、平均的に見ると日本人の英語力が必ずしも高いわけではないのは事実なのではと思う節もあった。

食事面では、特に心配することはないのかなと思う。日本でも中華料理は日本人の食生活に深く浸透しているし、米や麵が主食になるので特段違和感を覚えることはないかなと。しかしながら、「麻辣」(麻辣豆腐のマーラー)と呼ばれる独特の辛さが含まれていたり、個人的には大好きだが嫌いな方も多い香菜(パクチー)がふんだんに使われている料理も存在するので、人によっては注意が必要である。また、都市圏であれば、日系のチェーン店や日本料理屋さんというのは山ほど存在するので、気になる方は大会中ずっと日本食というのも可能である。(さすがに台北やシンガポールの日本食の多さまでには匹敵しないが)

治安面でも、特に懸念事項はないだろう。ほんのごくたまに、「軍国主義日本人入店拒否」みたいな看板を見ることがあるが、別に特にこちらへの実害はないし、街で歩いていても「日本人のXX」とか言われたこともないし、いわゆる差別を経験したことはほぼない。むしろ、お世辞ではあるが「外国人なのに中国語うまいね」や「わいも日本に行ったことあるで」等の言葉をかけられることが多い。基本的に、『軍事施設を撮影』したり、無用に政治的な発言をしない限り、問題はないだろう。

交通面では、都市にいる限りなんの不便も感じることはないと思う。市中に地下鉄が網の目のように張り巡らされているし、自信のある方向けではあるが、バスも結構便利である。さらに、DiDiというライドシェアサービスもおすすめしたい。DiDiとは、諸外国でいうGrabやUberの中国版という位置づけであり、アプリ内で乗車場所と降車場所を指定して、オンラインで勝手に支払うので、現地の言葉ができなくても無問題という画期的なものである。昨今の中国のタクシーあるある(特に外国人)だが、遠回りをされる、メーターがおかしいという不必要なトラブルを避けることができる上に、東京のタクシーに比べたら鬼のように安いのでおすすめである。ただし、過去の事件を踏まえた安全対策として、乗車間の車内の録画録音を行っているらしいが。また、もう一つ注意していただきたいのは、ほぼ全てのGoogle系サービスが中国全土においてアクセスを遮断されているので、Google Mapsは使えないということだ。現在位置が狂うほか、地図データが古すぎて使い物にならないのだ。という訳で、中国独自のBaidu Map等を各自ダウンロードして活用していただきたい。特に、Androidユーザーは色々なものが使えなくなるので気を付けてほしい。

配車アプリDiDiの画面 -South China BP 2019@深圳の移動の際のもの

余談ではあるが、慶應義塾大学、このブランド名はまあまあ中国でも知られている。勿論ディベーター関係者ならKEIOという名前でご存じの方もいたが、「まあまあ」といった理由は、東京大学と早稲田の知名度にはかなわないが、それ以外であったら次に来る日本の大学名の一つではあるからである。金髪ギャルがSFCへの現役合格をする過程を描いた映画ビリギャルが中国で大ブレイクしたそうで、その影響もあって慶應を認知する若者が増えたとのことらしい。確かに有村架純ちゃんかわいいですよね。

この辺で、さすがにもうちょっと関係ある話をしようと思う。というのは、今回のブログ執筆にあたって、広報からのご依頼の中に「ディベートがどう留学に活きたか」という記述があったからだ。このブログのターゲット層が誰なのかは自分で書いていてもよく分かっていないが、留学を考えていてKDSに入るか迷っている1年生やKDSに在籍していて留学を考え始めている人の参考になればと思う。

まず、英語でディベートをやっている以上、英語力は否が応でも伸びるのではないだろうか。私自身は海外での生活経験もあるせいなのか、英語に対して苦手意識等はなかったが、ディベートに触れてから、英語での思考力や語彙力は確実に向上したとは思う。実際に、ディベートの音源等を聞いてたおかげで、特に英語の勉強はせずに済んだし、慶應の英語での授業も特に問題なく過ごせている。さらに、ディベーターには様々な国と地域の出身の人がいるので、各地域のアクセントに慣れるのにも一助を担った。また、留学という観点で語ると、TOEFLやIELTSといった英語資格の取得にも役立つし、留学先でのコミュニケーションでも損になることはないだろう。

また、「アンテナ」を常に張る練習にもなるのではないか。テレビやLINE NEWSを見ていても、取り扱っているメインは国内事情であろう。ディベートで取り扱う内容は必ずしも国内事情ではないので、海外での事件や現象にも目を向けることになる。高校でやった世界史の授業の内容と結びつくこともぼちぼちある。日本の政治経済については、国内でもディベート等を通さずにいても、ある程度の知識が受動的に取得できる環境ではあるとは思う。しかし、特段興味が薄い分野については何かきっかけがあって調べないと、(少なくとも自分にとっては)知識を得ていくのは難しいのではないだろうか。国内・国外という枠だけではなく、政治・経済・教育・ジェンダー・国際関係などと様々なテーマを取り扱うおかげで、多方面のジャンルにも興味がわいてくることもある。

「海外に行くと現地の人から日本の政治経済事情を聞かれる」という話をちらほら聞いたことはあった。私にとって海外で生活することは初めてではなかったが、過去に生活していた当時は、そんな高度なことを話せるわけでもなく何も考えずに無邪気に生きていただけの年頃であったので、その真偽は不明なままであった。これこそ国外の大学に留学する際の特徴の一つとも言えると思うが、実際に私もそれを肌で感じた。現地では、現在の日本の政治経済状況やLGBTQを取り巻く環境、動物の権利といったトピックが話に上がることは決して珍しくはなかった。

もちろん、ディベートでの世界=現実世界ではなく、机上の空論という虚像を見せつけているだけの場合も多い。あるいは、それ自体に自分自身で満足感を覚えていしまい、その先に行こうとしないで終わってしまうかもしれない。だからこそ、ディベーターは「リサーチ」をするのであり、ファクトを集めるのかと。「現実」を知ることがどれだけ大事なことであるのかを自分は意識してきたのかと。自分たちの中で勝手に想像されたイメージベースの言説と外界の現実は違うこともある。本当に理解できているのかは不明だが。ディベートは決して完璧ではないし、全てを解決してくれる夢の特効薬でもない。しかし、ディベートをしていることで自分は豊かになったと感じる。世の中の事象に無意識にでも前よりはアンテナを張れるようになったし、様々なことに対しての自分自身の意見を構築していく中で、それは手助けになったと思う。

最後に、一つのコミュニティーとしてKDSは大切なものであるだろう。留学ともなると、物理的に日本を離れることになるので、日本での知り合いに会うことは容易ではなくなる。しかし、少なくともわたしが出た海外大会は、一人以上は日本人に会うことはできたし、それこそNEAOとかになると、同期を含めて様々な人と再会することができる。

実際に、2月下旬にはKDS21期の合宿/旅行としてフィリピンのセブ島を計14人で満喫することができた。このセブ島満喫の概要がKDS Blogにわざわざあがることはないと思われるが、結論から言うとすごく楽しかった。海もきれいだったし、食事はおいしかったし、ビールはマンゴージュースより安かったし、泊まっていたAirbnbが豪華すぎたし。まず、14人同時に集まれたということが改めてすごいと思うのだが、海外から来ている人を暖かく受け入れていくれる同期にも感謝の気持ちがいっぱいだ。このKDSが「まとまりのある」集団かと言われたら答えは分からないが、優しくて仲の良い集団であることは間違えないと思う。このKDSを大切にしたいです。

想像した通り、ただの唐突な個人的感想に終わってしまった。相変わらず日本語力の低さ、自分の知能の低さを露呈する形になってしまったが、許して頂きたい。

留学したことで結果的にディベートから一時的に少し距離を置くことになってしまったが、その距離が逆にいろいろなことを客観視させてくれたのかもしれない。ディベートも留学も目標意識を持つことが大事なのではと思う。「精強1年生」と随分前のブログで揶揄されながらも、「精強2年生」になることなく、むしろ「弱小2年生」のままで過ぎたこの1年。私自身がディベートにどのように向き合っていくのか。別にやめるつもりはないし、帰国したらまた日吉練に参加するだろうが、もう一度よく考えてみたい。自分におけるディベートの総論みたいになってしまったが、未だ結論を出すのにはまだ早いと信じたい。てへぺろ。

2.おまけ

余談だが、China BP 2019にも出た。

結果から言うと、22期のゆきなと出場し、Quater-Finalistで幕を閉じた。

「China BPのQuater-Finalistって別に誇れるアレじゃないっすよね」私はまたそう呟いていたことだろう。実際KDSのTwitter速報にも載らなかったし、特別話題に上がることはなかった。別にKDSや執行部を責め立てたいとかではなく、実際に我々自身で出場したという事実ごと積極的に「水に流そう」としていたのであったし、言ってしまったら作戦成功であった。だが、この半年中、私がKDSとして出た大会はこのChina BPだけであるし、流石にこのブログを書くこととなって一切言及しないわけにはいかないので、一言程度書いてみようと思う。特にラウンドごとの細かい振り返りはここではしないのでご了承いただきたい。

振り返ると、本大会へのKDS内での参加締切が9月27日であったが、最終的に当時の国際渉外の担当者にその旨を連絡をしたのは、日本時間での27日の11時58分というとてもギリギリの時間であった。このことに関しては、いろいろとご迷惑をおかけしたので、この場を借りて再度お詫びの意を示したいと思う。

とのことで(某先輩の言葉を借りるとするならば)、「弱小2年生と精強1年生による国際大会が始まった」のだった。

私は国外、パートナーは国内にいるので、一緒にラウンド練習をすることが不可能であるのは明白であった。なので、我々の練習は基本的にプレパ練を中心として行っていくこととなった。実は、私自身にとっては、この「ラウンド練0」は前年のNEAOで経験しており、初めてではなかった。そのことからか、緊張感と危機感は依然として存在しながらも、比較的順調に「LINE通話プレパ練」を展開できたのではと振り返る。このプレパ練については、抱いた感想が去年から特に変わっていないので、詳しくは嶋本が一昨年書いたBlogを参照してほしい。(ラウンド練 0

海外でも日本食は大事

そして、時は11月になり、パートナーが飛行機で北京に飛んでいる間に、私は高速鉄道で北京入りを果たしていた。空港で合流した後、翌日朝早くから始まる大会に向けて、ホテルへと足を急いだ。ホテルに到着したのが既に夜遅く、疲れていたので、その日は外卖/Wai-Mai(UberEatsのようなデリバリーサービスのこと)を使って食事をとり、就寝についた。

そして、1日目の予選が始まった。ORに到着するまでにちょっとしたトラブルに遭遇しながらも、無事にレジを済ませ会場を見渡すと、日本勢の姿は全く見えなかった。IAとして来ていたとうたくんやかなんちゃん以外、日本人を発見することはできず、ディベーターとしては我々のペアだけが唯一の参加者であったのだ。その後のOpening Ceremonyにおいて、Judgeのスコア説明やEquity Policyの説明がないということに気づき、一瞬驚き、「マ?草」程度の感想を持ちながらも、すぐに頭の中はそれ以外のことを考えていた。これがその後どう自分たちに降り注いでくるか、その頃の我々には想像もつかなかったが。

R2の際にチェアからRFDが行われないとのプチ事件が起こりながらも、ラウンドをこなしていく中で、また海外大会特有のアクシデントが発生した。それは、一部の参加者がORの部屋の外の空間で、食事をとっていたことに対して、大学の警備担当が怒りの剣幕でORに乗り込んできたのである。数年前のChina BPのように、大学構内の使用許可が取り下げられ、ホテルの部屋等での開催になってしまうのではという恐怖を抱くのと同時に、最悪絡まれても『我听不懂』を武器に逃げようと準備していたが、それらの妄想は大会運営側の努力によって幸運にも泡となって消えた。無事大会は続行されることとなった。しかし、時間の関係上、予選の試合数は6試合から5試合に削減され、R5は翌日に持ち越しとなることがその場で決定した。その日の昼と夜は大会側から支給されたお弁当を食べ、次の日に備えた。結果その次の日のQFで散ってしまった訳だが、自分の実力不足をひしひしと痛感しながらも、終わった後はどこかで、久しぶりに話の分かる相手とラウンドをできた喜びを感じていた。このようにして、私たちのChina BPは終了した。その後の感想といえば、翌日のゆきなのフライトが朝便で、5時の起床を経て北京空港に向かったことだろう。とにかく眠かった。次回からはひとりで頑張ってください。わたしは朝は弱いのだ。という文句の冗談はさておき、一年生の秋学期という、たくさんの大会が集中している時期にわざわざ国外大会に弱小2年生と出るという決断をしてくれたゆきなには頭が上がらない。ほとんどのラウンド中において放置プレイまがりなことをしてしまったのではないかと今となっては反省しているが、一緒にディベーターとして組めて本当に良かったと思っている。今更ですがありがとうございました。